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 マンダムと森永製菓で合計約30年にわたり新興国事業の責任者や本社の海外担当責任者を務めた山下充洋氏の体験を通じて、企業の海外進出について指南する本連載。実践編の11回目は21年間の海外勤務を振り返って、資金力では勝負できない中小企業が大企業と渡り合えた理由を解説する。筆者が構築してきた勝ちパターンとは? それを可能にした駐在員の働きや、本社や組織の思想と体制とはどういうものだったのか。

宣伝がなくても売る仕組みを構築する

いち早くアジアに進出、他社が撤退したり進出を躊躇したりする時期も現地にとどまり、ビジネスを続けた(写真:123RF)*写真はイメージ

 インドネシアでの9年間の勤務を終え、2008年に本社に戻りました。1988年、マンダムに入社して2年目にシンガポールに赴任して以来、ほぼアジアに出ずっぱり。海外勤務は実に21年に及びました。

 シンガポールではM&A先との融合と日本式の営業・マーケティングの導入、マレーシアでは新規拠点の立ち上げ、タイでは債務超過からの再建、インドネシアでは工場建設にドバイをハブにした国際化、さらにインド進出も果たしました。アジア各地のグループ会社をはじめ世界中を飛び回った海外駐在でした。

 本社では海外事業担当として日本から海外現地法人各社を指揮しました。海外事業を現地と本社、双方の立場から経験できて実に多くのことを学びました。

 マンダムがアジアで強いのは、なんといってもいち早くアジアに進出したからです。商品輸出、現地生産提携、そして現地販社による流通網構築、商品開発やブランディングまで進化発展させながら現地に深く根付きました。シンガポールを皮切りに現地販社を立ち上げ、本格的にアジア展開をスタートしたのは三十数年前と早かったですし、他の企業がアジアでの事業展開を躊躇(ちゅうちょ)していた時期でもやめなかったことが大きかったです。

 海外展開すると、競争相手には欧米の大手グローバル企業が加わります。そこで生き残るには資本力に頼らない方法を持つことが必要です。

 そのために必要なのは自前の流通網を構築することです。どの国でも大都市の量販店だけでなく、地方の小さな町の「パパママショップ」にまで商品が置かれるような流通網を徹底してつくり上げました。総代理店とともに地道に地域問屋とネットワークをつくり、生活者には商品の、代理店や問屋には事業理念のファンになってもらう。ファンをつくり、宣伝があろうがなかろうが売ってくれる関係を築き上げました。今でもアジアでは「ビジネス」という言葉より「商売」という言葉が似合うところがあります。商売には仲間をつくるニュアンスが含まれる。つまり華僑・華人の文化です。

アジア各国の小さな町の個人商店に足を運ぶことを惜しまず、流通網を構築することが世界的企業を相手に生き残るコツだった(写真:123RF)*写真はイメージ

 もちろん宣伝ができればそれに越したことはありませんが、売り上げが10億円レベルなら、その10%を宣伝にかけても1億円です。1000万円でフィルムを制作し、9000万円でオンエアしても、業界大手のテレビCM費用の数分の1でしかありません。大手の数分の1の予算で宣伝をやる意味があるのかと考えると、その1億円で徹底的に量販店などの店頭を買って、いつでもやりたいことをやれるようにして、生活者に品質を認知してもらい、問屋や小売店にもうけてもらう。本部や総代理店ではなく、店の担当者や地域問屋がもうかる企画をする方がいい。問屋が「売りたい、売ってやろう」という気になる企画に1億円を使う方が効果的です。