
ドバイで知る世界レベルの販売量とコスト感
マンダム・インドネシアの社長在任中の2001年から2008年。民主化の扉が開いたばかりのインドネシアで、「経営の近代化と国際企業へ」という目標を掲げて国内、海外戦略を推進していました。
通貨危機の爪痕が残るインドネシアではまだまだ国内経済が不安定。為替リスクの対策など、財務体質を良くするためにキャッシュと外貨を稼ぐ必要があり、まずは日本向け商品を受注し、生産と日本やグループ各社への輸出で稼ぐ方法をとりました。しかしそれだけでは足りず、目をつけたのがドバイでした。
ドバイはもともと前任者である本社副社長が販路を開拓していた場所ですが、私はドバイをただの輸出先ではなく、世界を肌で感じる情報源と位置づけ、政策方針を修正し、カテゴリー、表示言語、取引価格、展開地域など、積極的に世界を相手に商売を始めました。さらに印僑が全世界に構築したネットワークから入手した情報に触れ、ドバイビジネスの奥深さを知ることになりました。
ドバイでまず驚いたのは取引価格でした。店頭価格はインドネシアよりも安い、信じられない値段で取引されていました。
中には、自国内の廃番商品を輸出でさばこうと、赤字で処分した商品もありましたが、そのようなたたき売り商品だけではなく、10年以上取引され続けているロングセラー商品も数多くありました。
「なぜそんなに安い取引価格で成り立つのだろう?」と一軒一軒お店を回ってその理由を探っていくと、答えは膨大な取引量にありました。一つのアイテムだけで、当時ギャツビーが東南アジア10カ国に輸出していた総量の数倍と桁が違うのです。世界一安い取引価格で世界一大量にさばくことで利益を生み出す構造でした。
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