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 私もここまでの大災害は初めての体験でしたが、とにかくすぐに行動しようと、まず赤十字を通じて見舞金を寄付しました。次に近隣の支店に見舞金を直接持っていってもらい、現地の状況を報告させました。そして義援金をどこに、誰に、どのように寄付をするのが一番効果的かをあちこちに相談しました。混乱状態の現地では、寄付先を間違えると、すぐに被災者に届かなかったり、中抜きをされたり、思いが伝わらないことがあるからです。

 情報を集めた結果、アチェに基盤を持っている人物がジャカルタで放送局を運営しており、惨状を24時間流し、状況を伝えながら義援金や具体的な支援物資を求めて走り回っているのが分かりました。それで、早速この放送局に10億ルピアを寄付し、ボディーソープやハンドジェルなど被災地で使えそうな商品をトラックに詰め込みアチェまで届けました。従業員も自ら寄付を集め出しドネーション基金を作って持っていきました。

 この対応の速さがよかったのでしょう。24時間放送されているテレビのヘッダーに名前と寄付額がテロップでポツポツ流れ出す中、マンダムの企業名と寄付額が数日にわたって24時間流れ続け、トラックがアチェに商品を運ぶ姿が繰り返し映し出されていました。

 年が明けるとテレビ局や新聞社から取材が殺到し、インタビューとともに新聞には従業員が集めた寄付金のことも1面に大きく報じられました。「外資企業がこんなにインドネシアのことを考えてくれている」という感謝の気持ちが大きかったのだろうと思います。

 実際には3倍以上の金額の義援金を送った日系の大企業や金融機関もあったのですが、年末で日本の本社が閉まっていたり、駐在員事務所長や社長が帰国していて年明けまで決済ができなかったりと、対応が遅くなった企業が多かったようで、そのため多額の義援金を出していてもその頃にはほとんど報道されなくなっていました。臨機応変な対応が功を奏したのです。

 「一緒に仕事をして、一緒に喜んで、一緒に苦労する。これが、当社がインドネシアにいる理由です」

 これは取材の中で話し、テレビにも放映された言葉です。まさにこれが現地にいる意味であり、お役立ちするということです。これまでいろいろな修羅場を経験していたので、今回の有事の際にも自分で判断し、自分で行動する、さらに素早く行動することが出来ました。現地で市民目線で生活し、地道に根を張っていたからこそできた行動でした。これをきっかけに従業員やステークホルダーとの関係や会社の求心力も強まり、各方面からの信頼を得る結果につながりました。

著者/山下充洋(やました・みつひろ)
1964年生まれ。87年にマンダム入社。2001年マンダムインドネシア社長就任。08年マンダム執行役員、国際事業部担当兼国際事業部長就任。12年にマンダム退社後、同年森永製菓入社。森永製菓執行役員海外事業部担当。15年6月、森永製菓取締役上席執行役員 海外事業本部担当兼海外事業本部長。18年3月末森永製菓を退社し、同年6月から日経BP総研 中堅・中小企業経営センター 客員研究員。
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本文を一部修正しました 。[2019/11/29 17:30]