経営者不在の経営

 そしてもう一つの課題は「一体感」でした。現状認識、環境変化の方向性(仮説)、その戦略と実行策、死守する部分と割り切って捨てる部分の徹底、全員の納得、などなど、経営の方針と執行の分担と責任を全員に理解させることでした。

 日系企業の海外現法では担当者は、生産は生産、商品開発は商品開発、営業は営業、財務は財務とそれぞれ専門を持って赴任し担当していることが多いようですが、方向を決め、方針を出し、全社を見て、優先順位を判断して、バランスを取る、すなわち本来の意味の経営を執行する経営者がいないことがよく見受けられます。

 マンダムはなんだかんだ言っても当時「丹頂ポマード」というロングセラー商品があり、いくつかのカテゴリーでナンバーワンシェアを持つ、「ローカルナンバーワン企業」でしたので、全体像や各部門間のバランス管理、市場変化への対応、そして販売総代理店との認識の共有や折衝はすべて本社副社長を兼務していた前任の社長が一人で担っていましたので、駐在員は部門の責任者に徹し、全体像や経営を完全には掌握・理解していませんでした。

 通貨危機まではある意味恵まれた状況が続いていたので、有事の際や時代の変革に遭遇した時に、先を見据えた判断をし、政策を打ち出し、実行できる人材が育たなかったのでしょう。私は幸いにもそれまでの10年間経営責任を負って全体を掌握する職責で仕事をしてきましたので私の専門は「経営」になっていました。そこに私が他国から後任として、本社副社長が兼務していた現地社長に選ばれた大きな理由がありました。

幹部・役員合宿でビジネスマン人生を賭したこん身の方針説明

 毎回各地に赴任する時に、まず自分のミッション、このタイミングで私がこの国に来た意義を明確にするように意識していました。この時にたどりついた結論は、「経営を組織化する」「経営を近代化させる」そして「企業を国際化させる」でした。私心のなきミッション=天命が決まれば、あとは腹をくくって実行あるのみです。

 思いを言葉にし、具体的に示し、熱意を持って伝える、そしてリスクを負って実行する、させる。それだけです。新しい時代が始まったインドネシアで、新しいビジョンとミッションの下、新しい思想で、新しい組織で、新しい経営を実践し、国際企業として羽ばたくことでした。

改革によって工場の雰囲気も大きく変化、真の国際企業に生まれ変わった(写真はイメージ 写真:123RF)
改革によって工場の雰囲気も大きく変化、真の国際企業に生まれ変わった(写真はイメージ 写真:123RF)

 当時のマンダムは、本社副社長との協議で人事に関しても現場の要望を比較的認めてくれる体制だったこともあり、まず何人か私の望む人材をインドネシアに呼び、出向者の入れ替えを行いました。そして着任して1年後、体制の骨格が整ったところで幹部・役員の30人ほどで郊外のホテルに集まり、初めて泊まり込みの幹部・役員合宿を行いました。

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