国内市場を意識し過ぎるためインドネシアテイストが強く出過ぎていたのです。インドネシア国内向けとしては十分に高いレベルの商品ですが、カートンボックスや内箱なども微妙に輸出レベルに至っていない。海外市場ではどうしても、「やっぱりMade in Indonesia」「安かろう、悪かろう」と思われてしまう。直ちに取り掛かるべきことは、「海外市場でも通用する」「海外の生活者が認めるクオリティー」への改良です。

 当時のインドネシアの産業界はまだ最新鋭の機械を設備投資するよりも人海戦術で対応する方が安価に生産できるため労働集約型でしたが、最低賃金が年に2回も上昇する政府の政策では、この先人件費が高騰し利益を圧迫することは目に見えていました。いかに多くの従業員を管理できるかで経営の実力が評価される、経営の質を人数で測っていた時代が終わり、民主化が始まった1999~2000年ごろから「人的生産性」という言葉が真の意味で使われはじめました。当時5000人以上の従業員がおり、「増産には増員で対応」が基本とされていましたが、それを「今後は工場を機械化し、品質の安定を図る」と同時に「人的生産性の改善によるコストダウン」を目指すことに大きく舵(かじ)を切りました。

 さらに厳しい品質管理基準の導入により輸出用スタンダードでレベルを上げ、大胆な機械化により品質を向上させ大量生産によりコスト競争力を磨き、外貨収益で利益と為替をヘッジする収益構造への転換を急ぎました。

インドネシア工場で生産した商品は国内向けには十分なレベルだったが、海外向けとしてはやや厳しかった。「海外市場でも通用する」クオリティーへの改良に取り組んだ(写真はイメージ 写真:PIXTA)
インドネシア工場で生産した商品は国内向けには十分なレベルだったが、海外向けとしてはやや厳しかった。「海外市場でも通用する」クオリティーへの改良に取り組んだ(写真はイメージ 写真:PIXTA)

 手始めに日本からの生産移管の実行です。例えば、日本で生産している製品をインドネシアで作って輸出する場合、日本のコストより15円安く作れれば、年間1000万本の売り上げならば1億5000万円のコストダウンができます。そのコストダウンによって生じた利益のうち5000万円をインドネシアの利益として、さらには輸出売り上げも確保できドル建て売掛債権により同時に為替ヘッジにもなる。

 インドネシア国内では消費の喚起とブランドイメージの刷新を図るため、手に入れた利益をブランディング費用にドンドン投下しました。ブランドの集約、大幅なデザインの刷新、高級感が伝わる、国際ブランドの顔をした商品に一新しました。また同時に、多様な民族の生活者が手にできるサイズと香りに品ぞろえを増やし、既に認知度のある、テレビ宣伝もされているブランドであるにもかかわらず、デザインを一新し、値ごろ感のある値付けを実施。全国すみずみまで商品の配荷を徹底させました。

 輸出で外貨を稼ぎ、為替をヘッジし、企業収益(体力)をつけることで、値上げをせずに、為替に左右されない経営体制を構築する。手ごろな価格で高品質という、いわば二律背反を達成し、国内の回復を待つという戦略の遂行と実現を徹底しました。

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