国家危機から生まれた民主化要求と経済秩序の変化を先取り

タイを起点とした為替危機はインドネシアでは外国資本に頼る脆弱な産業基盤のため通貨危機に、さらに経済危機、そして30年以上続いたスハルト政権への政治不信が高まり、ついに国家危機にまで陥ってしまいました。半年の観察を通じて分かったことは、政治も経営も想像以上に複雑で多重構造な実態でした。
当時のインドネシアは1997年に起きたアジア通貨危機の爪痕が大きく残っており、政治は小さな派閥が群雄割拠、金融は不良債権の処理にあえぎ、産業は内需の下落により稼働率が下がり供給過多、国民は民主化と自由を求める、まさにカオス(混沌)。地政学的な重要性と豊富な地下資源、そして2億3000万人を超える人口=内需という高い潜在力でなんとか持ちこたえている状況でした。
私が着任した1999年、ジャカルタの中国人街にはいまだに一棟まるごと焦げたのままのビルが残り、実業家の金持ちは空港付近にベンツやBMWを乗り捨てて、空き家となった事務所をあちこちで目にする状況で、政治的にも混乱し国内経済は疲弊していました。
当然、合弁会社もルピア下落と事実上機能停止した市場の影響を受けて大きな打撃を受けていました。国内売り上げは数分の1に下がり、借入金が膨らんでいました。同じような状況は前任地のタイでも経験していたので、すぐに把握できました。2年を経てもかなりの金額の借入金が残っており、資金繰りの苦しさや生産計画、為替対策など生き残るために打った対策の反動を止め、ダメージをどうやって回復させるか? 優先順位は? 次の時代に向けての展望は? 幹部社員の現状認識は? 従業員はどこまで理解しているか? など多くの疑問が湧き出て来ました。
国内はまだ混乱しているとはいえ、政権が交代し民主化への道を既に踏み出しています。市場性と需要は必ず戻ってくる。地政学的にもアジアの重要な国であることは変わらない。海外からの投資もそのうちに再開されるはず。内需の回復に伴い、新たな市場秩序が生まれるまでが新しい体制への変革とリスタートに許された準備期間。国際的大手メーカーに先んじて新たな手を打ちたい。
ならば当面は輸出で売上げと工場の稼働を維持し、いずれ復活する国内事業へ備えて、早急に新しいビジョン、方針・政策、そして商品を打ち出さなければ。「時間がない!」が結論でした。
そこでまずは売上高と外貨を稼ぐために、本社から国内で安定的に売れている商品の生産移管とドバイ経由で中近東・CIS(独立国家共同体=ソ連崩壊時、ソビエト社会主義共和国連邦を構成していた15か国のうちバルト3国を除く12カ国によって結成された国家連合体)諸国、アフリカへの輸出事業を拡大すべく、現地向け商品の開発を加速しました。
しかしながら、今まで輸入する立場だった私の目から見て、シンガポールやタイ、マレーシアといった海外市場で競争できる魅力的な商品がインドネシアにはありませんでした。中身の品質は日本処方であり、品質管理もしっかりしていて申し分ないのですが、パッケージデザイン、包材、香り、テイストが微妙に国際基準に見劣りました。
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