判断視点は「タイらしさ」

 タイでの勤務は2年半で終了しました。赴任期間としては短い期間でした。もともとシンガポールから日本に戻る際に「途中下車」したタイでしたし、人員整理という厳しい判断を主導した人間がいつまでも居ては良くないと考えて、無事に企業再建を果たしたので、人心の一新を図るべきと本社に打診をしたのですが、1999年の7月に次の赴任地であるインドネシアに真っすぐ向かうことになり、結局日本に戻れませんでした(笑)。

 振り返ると私にとってのタイでの勤務は、市場状況の見方、判断、過去の経験を活かしたマーケティング、流通網の構築、などなど経営者としての信念や経営センスを問われ試された時間だったような気がします。結果としても「自分の感覚や信念はそんなに間違ってはいない」と自信が持てるようにしてもらった2年半でした。

 タイの話の最後に、私が感じたタイ人の特徴をお話したいと思います。
 タイは歴史的に占領されたことのない国です。占領されなかったことで保持した固有の文化とその歴史に非常にプライドを持っています。アジア諸国の中で唯一中国からの移民(華僑)が飲み込めなかった国なのだと感じます。タイには中国系の人も多く暮らし、財閥など大企業の経営者も中国系の方が多いのですが、徹底的にタイに入り込んでタイ人として生きています。それだけわれわれ外国人の想像以上に芯が強く、プライドの高い国民性の国であり、人たちなのです。

 タイ人は仕事上の選択でも「タイらしさ」を尊重し、好みます。タイらしいかどうかを基準に物ごとを判断します。何か判断をする際に複数の選択肢があり、少々利益が下がったとしても、彼らはそこに「タイらしさ」を求めます。明らかに優れている選択肢があっても、彼らはそれが「タイらしく」なければ選ばない傾向があります。

本社からの一任と現場の判断

 当時は、海外現法の経営判断や事業判断の職務分掌が明確に区分されておらず、私を含めて海外に送り込まれた出向者は、それぞれ本社から一任され、本社の海外事業責任者の専務とホットラインで協議して判断すると言う体制でした。形式的には本社で決定された事を現地が実行する形にはなっていましたが、実態は現場の判断が経営に直結していました。

 その結果、大胆に、迅速で、現地に根付いた施策が実行出来たのですが、その反面、報告が遅れ、事態が悪化するまで本社が実態を把握できない事態に陥ってしまうリスクをはらんでいました。

 ただしスケールが違う事業規模の国際大手企業と戦うためには、それくらいのスピード感と実行力、行動力が必要です。そのためにも現地の責任者と本社の経営トップとの絶対的な信頼とホットラインが重要でした。

 私にとって当時その絶対的な信頼は本社の専務(後に副社長)でした。本社は現地での決定を信頼して決裁し、支援する。現場は自分の経営判断の理由や意味、専務が本社役員会で説明できる説得できるだけのロジックや必要性、更には法律の問題点などを徹底的に調べ「これしかない」と言い切れるだけの理由を提供する事を常に心がけていました。

 特にタイでは、書類を作成して上申する時間もなく、電話で状況説明と確認をするだけで仕事を進めていた状況でした。自分の判断が間違っていたら完全に倒産するという立場だったのですが、専務との間に築いた信頼とホットラインがあったからこそと思います。もしそれがなければ成し遂げられなかったでしょう。考えてみれば、何億もの融資や、200人以上の従業員の解雇決断、一品に賭ける選択や企画、流通再編など会社の運命を左右する重要な意思決定を現場に完全に一任するなど尋常ではありません。

 当時の経営陣の思想と海外への強い思い、そして、その国に「お役立ち」をしたいという理念の存在と専務の胆力があったからこそできたことであり、私を含め海外駐在員を鍛え、海外事業を力強く推進できたのだと思います。その責任を全部負って私に一任してくれた専務と、当時の本社の度量の広さに感服します。

(構成:鈴木素子、編集:日経BP総研 中堅・中小企業経営センター

著者/山下充洋(やました・みつひろ)

1964年生まれ。87年にマンダム入社。2001年マンダムインドネシア社長就任。08年マンダム執行役員、国際事業部担当兼国際事業部長就任。12年にマンダム退社後、同年森永製菓入社。森永製菓執行役員海外事業部担当。15年6月、森永製菓取締役上席執行役員 海外事業本部担当兼海外事業本部長。18年3月末森永製菓を退社し、同年6月から日経BP総研 中堅・中小企業経営センター 客員研究員。