手紙を添えて支給した特別ボーナス
予想以上のスピードで業績は回復し、経済危機に陥った翌年の中盤には単月で黒字が出るようになりました。1990年の設立以来赤字続きの会社でしたから、業績回復というよりは実質初めての黒字化でした。
前年の97年冬は、工場閉鎖・人員解雇をするくらいですので、残った従業員にもボーナスなど出せる訳がありませんでした。その97年冬に支給したのは全員一律1万バーツ。みんな頑張ってくれたのに「餅代」しか出せなかったことがずっと心苦しく、従業員に借金をしている様な負い目を感じていました。
借金の返済も順調に進み、98年の年末には数か月分ですが従業員にボーナスを支給できるまでになりました。そこで昨年の業績評価を査定し、その金額から昨年に支給した「餅代」の1万バーツを引いた金額を通常のボーナスとは別に年末の最終営業日に支給しました。
そこに、「これは去年みなさんに借りていた分です。本当は去年払いたかったのだけれど払える状態ではありませんでした。当時は会社として非常に厳しい判断を下しましたが、皆さんの努力のお陰で何とかメドが立ってきました。本当に頑張りましたね。感謝を込めてまずは昨年の借金をお返しします。」という手紙を添えて。まだ累積債務を完済していませんでしたが、年末のサプライズとして、また私に付いて来てくれた彼らへの感謝の気持ちを伝えたかったのです。
年末の業務を終えて自室で束の間の安堵感に浸っていると、事務所内はもう大騒ぎに。全員が私の部屋まで入って来て口々に「ありがとうございました!」と言って泣いていました。それを見て私も涙がこぼれました。苦しいリストラをして「ここに残ったこの子たちの生活だけは何としてでも守っていこう」という思いで再建に取り組んできたので、少しは罪滅ぼしができたかなと感じた瞬間でした。工場閉鎖の日とともにこの時の光景は忘れることのできない21年の海外駐在時代の大切な思い出です。
メーカーは1度撤退したら市場が信用してくれなくなる
流通網構築の遅れ、債務超過、アジア通貨危機など度重なるピンチを耐え抜き、タイの事業を軌道に乗せることができました。これは何と言っても本社トップの「絶対に引いてはいけない」という強い信念と決意の賜物だと思います。
債務超過や経済危機に陥った時、本国では「撤退やむなし」「撤退してまた機を改めるべき」という雰囲気が正論として出るものです。金融業など他業界ではそれも正論なのかもしれませんがメーカーは違います。
現地に進出したメーカーが1度撤退してしまうと、その後市場が回復して戻ってきても、問屋さんは信用してくれません。「お前らは何かあったらまたすぐ本国に帰るのだろう? 3年後にここにいるか分からないね」と言われてしまいます。

日本企業はタイでは外資ですから、明らかに現地企業と信用度が違います。付け加えるなら問屋さんだけでなく、生活者や従業員からも信用されなくなります。苦しくてもその国に居続けることに意味があり、価値があるのです。このことが最初から分かっていて、「引いてしまったら二度とその国には戻れない。撤退してはダメだ」との、本社の海外事業に対する信念は素晴らしいものでした。
現在、海外事業を展開中の中小メーカーの方も、これから進出していこうとするメーカーの方も、その国や地域が大事なマーケットであれば、どんなことがあっても撤退しないという覚悟を持ち、有事にも備えていただきたいものです。
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