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 マンダムと森永製菓で合計約30年にわたり新興国事業の責任者や本社の海外担当責任者を務めた山下充洋氏の体験を通じて、企業の海外進出について指南する本連載。第6回はタイ後編。引き継いだ赤字続きの合弁会社を再建させるため事業再編からスタート。その結果たった2年で黒字企業へと回復。会社を救ったものとは――。現場の判断と実行力、ピンチをチャンスに変えた著者の戦略のポイントを解説する。

タイのショッピングモール。アジア経済危機のときには閑散としていた(写真はイメージ。写真:aflo)

取締役を刷新し事業再建本格始動

 前回、1997年に引き継いだタイの合弁会社が債務超過に陥り、構造改革に着手した矢先の7月にアジア通貨危機が起こり、苦渋の決断で工場を閉鎖したことをお話ししました。ただしマンダムがタイで生き残るために販売機能だけはなんとしても守り抜きたい。そのためにそれ以外の全てを犠牲にするという方針を定めました。経済危機と重なったとはいえ、当初再建案になかった工場閉鎖と工場従業員に解雇を言い渡したことは今でもトラウマになっています。

 工業閉鎖の日、それまでの取締役は現地パートナーを除き全員解任。日本からの出向者も営業担当だった1人は顧問として半年間残し、他の者は帰国させて経営責任を明確にしました。

 翌日から私はタイ事業(*販売会社を事業継続、生産会社は休眠化)の責任者として新たにマレーシア時代の腹心の部下を指名し、営業担当として新体制で2度目の企業再建のスタートを切りました。

小さくても機敏に動き、従業員を幸せにする会社へ

 生産機能を閉鎖したことで製造販売事業から輸入販売事業になったわけですが、「なんとしても販売機能は死守する」ことが再建のカギであり、そのスタートに際して販売会社でもリストラに着手しました。営業マンを販売総代理店に移籍させる当初の計画も白紙に戻ってしまったため、営業部員も管理職3名を残し解雇、さらに経理部門を中心に管理部門は半分以下にしました。最終的には工場勤務の150人を含める270人ほどいた従業員は約30人となりました。当時の収益規模を考えればこれが適正でしたし、その結果固定費が劇的に下がり、最低限の売上で損益分岐点を確保でき、利益が出せる体制になりました。

 他方、残ってくれた従業員に対しては、今この会社がどのような状況にあって、最低これだけの経費が必要で、損益分岐点を超えるために必要な売上げは幾らで、そのために何を基準に判断をすれば良いのか、損益分岐を超えると、どんなことが出来るようになるのか、など極力現状をオープンに説明し、目標を共有し、全員が参画するという意識を醸成しました。

 小さくても機敏に動き、全員が現状を把握し、目標を共有し、一丸となって会社を再生することを目指す意識を作り出すことを徹底。特に営業とマーケディングの部員には売上げを取る企画と利益を上げる企画のバランスを意識すること、手を変え品を変え面白い企画を考えること、全員がそれぞれやるべきことをやる、この経済環境下で、競合の活動が止まっている、今こそ小売業と店頭企画をどんどんやれ!と指示しました。

 今までは経費を使うことを厳しく管理されていたので、最初は大胆な企画が出てこなかったのですが、次第に自ら考えて行動するようになりました。また、今まで交際費なども充分に使えず悔しい思いもしてきた営業マンにも「接待などで必要な経費は使ってくれ、その分売上げを伸ばして行こう」と言いました。