全10101文字

 赤字を止めようとして値上げをすると、生活者の希望価格から外れる→売れない→売れないから工場稼働率が上がらない→工場作業員の練度が上がらない→士気も低下……。まさに最悪のシナリオ通りの展開に陥っていました。

 私は講演でしばしばこの話をするのですが「みなさんはどうですか?」と聞くと、既にこれを実行してしまっている会社が結構あり、下を向く人を多くお見掛けします。これは日本企業がよくやってしまう失敗パターンの1つです。海外進出の際、工場を先に造ってはダメです。日本の工場を海外移転して輸出向け工場として建設稼働することはありますが、現地市場向けの工場の建設は最後のステージです。売れてから現地工場がセオリーです。大きな夢と希望、さらにはIR・PRの目的から工場を建設するという先行投資は必ず痛い目にあいます。

現地市場向けの工場を先に造るのはNG。商品が現地で売れ、流通網が整備できてから工場を建設すべきだという教訓だった(写真はイメージ。写真:roberthardingAfro)

工場閉鎖、全員解雇を言い渡す

 短い期間とはいえ、現場を理解しようと足しげく工場に通い、従業員とも親しくなっていましたから、工場閉鎖と全員解雇を言い渡すその日まで、心身ともに重く、つらい、苦しい日々が続きました。

 本社経営トップへもう一度再建案を説明し、その影響と手続きについて説明し、了承を取った後、タイに戻り、連日弁護士と話し合いました。根拠となる法律、過去の判例から敗訴しない特別手当を設定、現金の準備、そしてその通告の方法と当日の段取り、などなど「Xデー」に向かって連日必要な準備と確認の連続でした。

 弁護士との打ち合わせは英語で行いますが、お互い第2言語ですので、私の質問や法解釈や理解のニュアンスがうまく伝わらず、お互い不安が残ります。ここまでくるともう1人では対応できません。

 そこで信頼を置いていたタイ人の秘書と、総務人事担当マネジャーを個別に呼び、まず秘密保持契約書にサインをしてもらい、「実は厳しい経営判断を下した。ついてはもろもろ複雑かつ慎重な準備を極秘裏に進めなければならないので、手伝ってほしい。同じタイ人として仲間に計画を話せないので、あなたがつらい立場になるかもしれないけれど、これ以外にはこの会社が生き残る方法はないので、一緒に準備を手伝ってほしい。ただし、どうしても納得できないならば、このことは忘れて、他言無用を厳守してくれ」と話をしました。

現地工場の職員たちは、アジア経済危機の渦中にあっても、日系企業が工場を閉鎖することはないと信じ切っていた(写真はイメージ。写真:123RF)

 2人にはつらい決断を求めましたが、私にも大きな賭けでした。もし事前に計画が漏れたら労働争議など大変な騒ぎになっていたでしょうし、おそらくそのときには販売会社も含めて潰していたと思います。幸い2人は理解し、協力してくれ、一緒に解雇対象者全員の退職金を現金で袋に詰める作業や受領書の作成など準備に奔走してくれました。こうした作業は昼間にはできないので、主に夜に行っていたのですが、同胞の仲間を解雇する手伝いをすることになった彼女たちは、とても苦しかったと思います。彼女たちは最後まで秘密を漏らさずに協力してくれ、元秘書は昨年定年退職するまで勤め続けてくれました。

 解雇にあたっては法律的に絶対瑕疵(かし)のない文書を作り、そこに同意と退職金の受領サインを取り付け、署名後1時間以内に私物を持って工場から退去し、その後の入場を禁じる、など手順を決めて、一人一人の現金の入った封筒を積み上げて、Xデーの朝を迎えました。

 その日、朝一番で工場に電話で「本日の作業は14時まで。そこから構内清掃をして、16時に全員ホールに集合するように」と、秘書を通じて工場に指示し、パートナー、弁護士、秘書、経理、そしてボディーガード2人を連れて、販売会社のあるバンコク市内から郊外の工場へ向かいました。

 工場はバンコクから北へ1時間半ぐらいのところにあったのですが、私は工場視察が好きで、赴任から短い間ではありましたが、週に1回は必ず行っていました。多いときは2~3日続けて行っていましたので、その時間になると全従業員が集まってきましたが、「またボスが来ているのか、今日は何かあるのかな、訓示かな」という感じでした。

 「実は今日、会社から大事な話があります。工場は本日をもって閉鎖します。みなさんを全員解雇します。今から退職金をもらって、ここにサインをして、1時間以内に私物を全部持ってここから退去してください。これ以降この工場に入ることはできません」そう話した後、すかさず弁護士が「タイ国労働法第X条Y項に基づいて規定されている解雇条件の一時金に、この会社はXパーセント上乗せしているので、みなさんが裁判で争っても、勝ち目はほぼありません。私からのアドバイスは、みなさんがサインをして、これを受け取って、帰ることがベターであるということです」と機先を制して言い、趣旨とプロセスを説明しました。

 話が終わると、途端に泣き崩れる人、怒気で目が血走る人、状況がのみ込めずポカァーンとする人。当然ですがさまざまな反応が瞬時に起こり、その感情が嵐のように目の前から伝わってきました。私が予想した以上にみんながショックを受けていたことも分かりました。今、タイの経済がこんな状況でも、外資、それも日本企業は見捨てない、大丈夫だという信頼から、会社を潰すようなことはないだろうという思いが従業員みんなにあったのでしょう……。まさか自分の会社が、自分が、こうなるとは思いもしなかったのでしょう。