マンダムと森永製菓で合計約30年にわたり新興国事業の責任者や本社の海外担当責任者を務めた山下充洋氏の体験を通じて、企業の海外進出について指南する本連載。第5回はタイ編(前編)。前任者から引き継いだ合弁会社は実質債務超過だった、そこからの企業再建スタート。しかしその矢先に起きたアジア通貨危機。著者が実践した債務超過に陥った会社の再建方法と当時の心情を解説する。タイでの展開が失敗した最大の原因とは。経営者の責任と本当の優しさとは──。

会社を潰して、何を残すか、守るべき物は何か…

 新卒でマンダムに入社し2年目にシンガポールに赴任。駐在員事務所を立ち上げ、合弁会社からギャツビーを市場導入し、さらにマレーシアにシンガポールの子会社を立ち上げ、兼務して9年が過ぎた1996年末のことです。本社への異動人事が出て帰国の準備をしていると、「どうもタイの合弁会社(当時持分法対象子会社)の決算が締まらないらしいんだ。タイの様子を見てきてくれ」担当役員の専務からそんな依頼を受けてタイに出張しました。

チャオプラヤ川のほとりにたたずむワット・アルン。三島由紀夫の小説「暁の寺」に描かれた。この地で紡がれた様々な人間模様を見つめてきた(写真:123RF)
チャオプラヤ川のほとりにたたずむワット・アルン。三島由紀夫の小説「暁の寺」に描かれた。この地で紡がれた様々な人間模様を見つめてきた(写真:123RF)

 タイの合弁会社を設立したのは1990年。シンガポールのパートナー会社も出資していたため、設立準備には立ち会ったのですが、業務は管轄外でしたし、経営について意見を求められることもなかったので、その後の状況は年に2回の国際会議で報告を聞くだけで漠然としか分かっていませんでした。

 「決算が締まらない」とは、公認会計事務所の適正承認が下りないということです。一般に決算とは現実の価値に限りなく近い数値を帳簿上に示す、帳簿上の数値と現実の価値の差をなるべく極少化し、株主に説明するものです。そのためには、現実の価値と帳簿上の価値の差を適正に評価し、損益として計上しなければなりません。具体的には在庫の商品価値、売掛債権の回収リスク、不動産の市場価値など、帳簿との差異を決算時に再評価する必要があります。

 その結果が企業評価を左右することもあります。大きな含み益を計上するときもあれば、その逆に帳簿上の資産価値を大きく減らすこともあります。時には公認会計事務所と見解の相違が生じ、長い議論になることがあります。専務は「何回説明を聞いてもよく分からん」ということでしたので、とにかくタイに向かい、現地法人の責任者と公認会計事務所の双方からヒアリングした結果、在庫商品と売掛債権の評価に見解の相違があり、評価損を認めるかどうかという点で双方とも合意できないということでした。

 「先生、要するに評価損を計上しろということですね? でも、落としたら(評価損を計上したら)大変なことになってしまいます。もう1年待ってもらえませんか? いろいろな販促企画を実施して滞留商品は消化しますから!」と公認会計士に相談しましたが、「今回はだめです。もう待てません! 3年前から言ってきたのだから、今年はもう無理です!」と怒気を含んだ答えが返ってきました。数年前から指摘を受けていたのに、真摯に対応しなかったことで公認会計事務所の信頼を失ってしまっていました。

 当時の出資比率はマンダム35%、現地のパートナー企業51%、シンガポールのパートナー企業が14%でした。本来ならば現地パートナー企業に責任があるはずです。しかし現地パートナーは化粧品の製造販売が本業ではなかったこと、実質的な経営執行はマンダムからの出向者が行っていたため、責任追及は難しい状況でした。現地経営陣に十分な経営や財務知識を持った人材がいなかったことから起きた結末でした。

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