暗黙のルールが存在する「接待メニュー」を任されるように

 当時経済成長のまっただ中で、宴席も活気にあふれていたシンガポール。「笑顔と鉄の胃袋」があったおかげで、私は若手と日本人を代表して呼ばれる飲み会要員となり、現地の人たちにかわいがってもらえるようになりました。そうしていくうちに、ビジネスの世界にはもっと深い華僑ルールが存在することも知るようになりました。

 その1つが接待のメニューです。本当の接待の席では、お店が通常用意している中華のコースメニューは選びません。接待する側はあらかじめお店に特別な逸品を依頼しておき、お客さんの目の前でその日のベストの旬の料理を選び、一品一品に「本音」を込めていきます。レストランのマネジャーも心得たもので、前菜からメインまで「本日の特別メニューは○○です」と言ってメニュー構成を決めていきます。

 接待される側も当然、食材や料理方法などをしっかり聞き、実際に出てきた料理を見ながら、自分たちが本当に大事にされているかどうか、相手の本音を察するのです。出された料理から、交渉の先行きも見えてきます。しかし、お互いそんなことはおくびにも出さずに乾杯して、その場では、ワイワイと盛り上がって帰るのです。

 中華料理の場合、明確に相手の本音を判断できる材料の1つが魚です。まずメニューに魚が入っていなければそれは「本気で接待していません」という意思表示。次に魚があるからといって手放しで喜んでいいわけではなく、魚の種類にも格付けがあります。イシダイやムツやセッパンなどの白身魚が上位とされています。さらに料理法も重要です。

 魚料理では蒸してあるものが最上位で、丸揚げは家庭料理なので接待では最下位です。蒸し方はさばいた際に骨にまだ生身が少し残っているくらいのものが最高でシェフのレベルが分かります。最後に魚のさばき方で幾つ星のレストランかが分かります。それらを総合すると接待する側がどのくらいの気持ちか、本気かが分かるというわけです。ただしこれはレストランの外見や雰囲気とは必ずしも一致しません。

華僑とのビジネスでは接待メニューに込められた「意図」を読み取ることも大切。魚料理で一番格が高いとされるのは白身魚の蒸し料理だ(写真:AFLO)
華僑とのビジネスでは接待メニューに込められた「意図」を読み取ることも大切。魚料理で一番格が高いとされるのは白身魚の蒸し料理だ(写真:AFLO)

 最初は私も何も分からなかったのですが、宴会の後、電話で呼び出されて内輪の2次会に行くと、「ヤマシタ、分かっているか? 今日の酒はこれで、魚があれで、料理はこうだったし、たいした店じゃなかったよな。やっぱり向こうはうちのオファーに乗り気じゃないということだよ。この商談は厳しいね」と、相手の考えを解説してくれました。結果はその通りでした。

 華僑同士でもきっぱり断るのも、断られるのも嫌なので「分かってね」とお互い暗黙で了解を得る、相手の意図を察するためのルールがあるのです。このことは言い換えると、自分が接待する際にもすべてのメニューに細心の注意を払って選ばないと相手に間違ったメッセージを送ってしまうということです。

 宴会から始まり、華僑に存在する表や裏のいろいろな「ルール」を教わりながら鍛えられて3年目辺りから「じゃあ今日のメニューはヤマシタに頼む」と接待の仕切りを任せてもらえるようになりました。

 お店選びから、メニューを含め、付き合い方が分かって、ようやく彼らに認めてもらえるようになったのです。現地社員やパートナーから仕事であまり注意されなくなり、相談を受けるようになったのもその頃です。

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