成長を継続するために「新たな成長市場」を確保する
シンガポールに駐在したこの時代は経済の急成長もあり、ギャツビーが浸透し、売り上げが順調に伸びていく幸福な時期であった一方、初めて「経営者」ならではの様々な難問に直面する時期でもありました。20代半ばの若者にとっては大き過ぎる試練でしたが、あれこれ新しいことをすぐに実践できる環境が楽しくて仕方がありませんでした。
小さな失敗に打ちひしがれている暇などありません。企業としては当然ながら永続的に事業を拡大していかなければなりません。現地の指揮官として、前進するための戦略を次々に打ち出していく必要がありました。
そのための一つとして、シンガポール赴任3年目の1990年から本格的に仕掛けたのが隣接するマレーシア市場の開拓でした。その背景には、面積が東京23区と同じくらいのシンガポールの人口(市場規模)が約305万人(1990年時点)と小さかったことや、さらには高度経済成長によりシンガポールでは物価のほか全ての経営コストが上昇、人件費や事務所家賃、運送コストなどが年率10~50%くらいで急増していたことがありました。そうしたコスト上昇により圧縮される利益を、新規市場で販売を伸ばすことによりカバーする必要があったためです。
また、人口や成長性、両国の歴史的経緯などの観点からも、ギャツビーのシンガポールでの成功の実績を活用して、約1800万人の人口(1990年時点)を持ち潜在力の高いマレーシア市場を開拓、その売り上げによりシンガポールを中心とする事業の採算性を高めていくことが急務だったのです。

まず、シンガポールの販社がマレーシアのクアラルンプールに持っていた休眠会社に増資をして復活させ、マレーシアに新販売会社を設立、その企業をマレーシア市場開拓の拠点としました。
マレーシアの物価水準は当時、シンガポールの60~70%くらいでしたが経営コストはそれ以上に安かったため、マレーシアで稼いで、シンガポールはそこからの配当や経営コンサルタント料で利益を上げる統括会社とする体制をつくりました。そこから数年間は、毎月5日にマレーシアに行き、25日にシンガポールに戻るという生活をしながら、マレーシア国内の流通網を構築し商品の販売に注力しました。
当初は毎月1州に1営業拠点のペースで、マレーシアの各州に営業所と地域代理店を新設していき、マレーシア市場での販売体制と流通網の整備を進めました。マレーシアの市場開拓の戦略はシンガポールとは異なるものでしたが、そのお話はまた回をあらためて詳しくお話しします。
日本語で「責任」というと、「失敗したときに被った結果の償いをすること」というネガティブな意味にとらえられるケースが多いのではないでしょうか。「もし失敗したら、俺が責任を取る」などといった言い方です。ペナルティーが与えられるイメージであり、責任者とは言い換えれば「責められることを任された人」に近いように思います。
一方、英語で「責任」を意味する言葉とされているのは「responsibility」ですが、これは本来「response(反応)」と「ability(能力)」という2つの単語から構成されています。それらの単語の意味を考えれば、「責任」とは目の前で起こった事象に対応して、目標に到達するまで導く能力のことを指すと考えるのが正しい。 私はこの英語の「responsibility」のニュアンスの方に強い共感を覚えます。
海外で「現地責任者」として目標を立てて業務にあたっていると、想定外のできごとやアクシデントが起こって、計画通りに進まないことなど日常茶飯事です。そうなったときに、方針転換をして状況に即座に適応し、なんとかして目標を達成させる能力こそが「responsibility」であり、現地責任者の役割の本質ではないかと思います。
失敗した人を責めるという後ろ向きの「責任」という意味は、とりわけ海外進出をしたり新しい事業をつくったりしていくようなリーダーには適しません。現地責任者には、その時の環境にすばやく適応して目標を実現する「responsibility」こそが、不可欠であると私は信じています。

(構成:鈴木素子、編集:日経BP総研 中堅・中小企業経営センター)
著者/山下充洋(やました・みつひろ)

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