「3次元の立方体ビジネスモデル」 小さくとも存在感のある会社に

 「アジアのショーウインドー」であるシンガポール市場において成長を継続させるため、私はさらに存在感を高めるための策を考える必要がありました。そして当時の私にとっては思い切った手を打つことを決断しました。それはマンダム以外の日本企業の他社商品を取り扱うという戦略。例えば貝印さんのカミソリや爪切り、白元(現・白元アース)さんの除湿剤や芳香剤といった日用雑貨品などです。つまり「メーカーの販社」でありながら「化粧品や日用雑貨の問屋業」になるという戦略です。

 なぜメーカーなのに他社製品を取り扱うのかというと、マンダムは男性用化粧品しか扱っていないため、当時のシンガポールの小さな市場規模では固定費の吸収が厳しくなることが目に見えていたからです。営業マンが量販店の化粧品担当バイヤーに商談に行って、化粧品だけを売って帰ってくるのではなく、同時に日用雑貨品担当のバイヤーにも商談してきたら、売り上げは増加し営業効率は改善されます。また小売店からしても、売れる商品を何種類も持ってきてくれる問屋の方が、大切な存在になるはずです。

 当然、マンダム以外の商品を扱うことについては日本の本社では問題になりましたが、「シンガポールの小売店に、マンダムという会社をまず知ってもらわなければならない」「ギャツビーを置いてもらうスペースを取らなければならない」「そのためには組織小売業における『カテゴリー別の納入企業ランク』を上げなければならない」「そうしなければ、いずれ組織小売業と直接取引すらできなくなる」──というロジックで、危機感を本社の経営陣に説明しました。

 日用雑貨品も含めたトータルの納品金額が高い取引業者になれば、組織小売業からも依頼や相談を受ける企業になれる。その結果、ギャツビーの商談をする際に優位な条件で交渉できる。「そのために、ほかの日本企業の商品も使わせていただくのです」と説得し、マンダム本社の合意を得ました。

 また当時のシンガポールは、「1企業に対し1社」の総代理店方式ではなく、「1ブランドにつき1社」の代理店を置く企業が多かったのです。つまり、同じメーカーのブランドでも、別々の代理店から別々の営業担当者が商談に行き、別々に納品されるという状況でした。そのため小売店のバイヤーは商談に追われ、企業による統一プロモーションも企画しづらい状況でしたし、バックヤードには納品待ちのトラックが長蛇の列をなして大変な負担になっていました。

 そうした取引先の課題も考慮すると、納品の配送車が1台で1社の商品を10ケース積んでいくよりも、3社の商品を30ケース積んでいった方が効率的であることは言うまでもありません。自社の営業担当者の生産性と取引先の課題を解決することを考えた上での判断でした。

 さらに次のステップを考えました。当時日本では一般化粧品(マス)商品の棚で売られていたギャツビーが、シンガポールでは百貨店やデパートの1階の「プレステージ」の売り場で売られていました。でもやがては、この売り場から撤退させられる可能性がありました。

 もちろん、私たちがこの売り場を持っていることのメリットはとても大きかったのです。──だからこそ、単価もプレステージも高い高級ブランドを併せて取り扱うことで、百貨店やデパートの1階の売り場を今後も確保できるようにしたいと考えました。その思いを、当時のマンダム本社の役員(代表取締役専務)に相談した結果、フランスの化粧品業界との強力な人脈を生かして、フランス製の有名な女性用スキンケアブランドや香水などの販売権を獲得してもらうことができ、シンガポールで取り扱えるようになりました。

次ページ 自分がいなくなった時のことも考えておく