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 マンダムと森永製菓で合計約30年にわたり新興国事業の責任者や本社の海外担当責任者を務めた山下充洋氏が、企業の海外進出について指南する本連載。「実践編」の第2回は、現地パートナー企業と同一の目的を共有していく手法や、シンガポールにおける企業価値向上を狙って編み出した「3次元のビジネスモデル」などについて解説する。マンダム勤務時代に23歳でシンガポール事業の責任者を任された山下充洋氏が、試行錯誤する中から見いだした海外でビジネスを成功に導く勘所とは──。

現在のシンガポールの風景。NIES(新興工業経済地域)と呼ばれていた1980年代後半からシンガポールは急速に発展した。左奥のマリーナベイ・サンズ(3棟のタワーの屋上に巨大な空中庭園を設置した斬新なデザインで有名)の建っている場所は、山下氏が赴任した1988年頃にはまだ埋め立てが進行中のエリアであった(写真:123RF)

現地パートナー企業にとって、「ブランド価値」向上はリスクなのか?

 1988年、新米現地責任者としてシンガポールに23歳で赴任した後、しばらくすると日本と現地の橋渡しをする役割について悩むようになりました。つまり、日本の本社と現地のパートナー企業との「板挟み」になったわけです。これは他の駐在員の方も悩むことの多い普遍的テーマだと思いますのでお話ししておこうと思います。

 実践編第1回でお話したように、新卒2年目の自分が赴任して駐在員事務所を立ち上げ、少しずつ軌道に乗ってきた頃のことです。それまで、現地のパートナーである販社と、現地におけるマンダム代表でもある自分とは同じ方向を見ていると信じていたのですが、広告宣伝費などの投資資金の出所などをめぐって、少しずつ考え方に齟齬が出てきました。

 おかげさまでシンガポールで「ギャツビー(GATSBY)」は売れ始め、認知度も上がっていきました。現地に赴任して2年目になると、さらなる売り上げ拡大のために、そろそろ宣伝に力を入れてブランディングをしていく時期になっていました。数千万円の予算をかけて宣伝を打ち、ブランド認知を高める計画を検討する必要があったのです。

 宣伝というのは一定以上の金額を、一定期間に一気に投下しないと効果が出ません。パートナーである現地販社の経営陣に「宣伝費にカネをかける結果、今年度の収益は少し圧縮されることになるけれど、これは仕方がないですよね?」と話しました。しかし相手からは「ミスター・ヤマシタは何を言っているのですか」と突然、強い反発を受けたのです。

 「マンダムの商品ブランドを向上させるためなのだから、ブランドを高める宣伝投資の費用はマンダム本社から出してもらうべきでしょう?」「ミスター・ヤマシタはそのためにシンガポールに駐在しているのではないですか。私たちは商品のブランドが有名になったって、それ自体には何の価値もないのですよ!」などと。

 私としては、同じ夢に向かってブランドをつくり上げているという気持ちでいましたし、宣伝は現地販社(パートナー)の担当業務と思い込んでいたため、この突然の反発には面食らい、ショックを受けました。結局、自分と現地のパートナーが見ていたのは「同床異夢」だったのかと気づかされたわけです。

 「ブランドが有名になれば、売り上げはいくらでも伸びる。現地のパートナー企業や従業員たちにとってもプラスになる」と私は信じていましたが、相手にしてみれば「マンダムのブランドを磨くわけだから、マンダムがカネを出してくださいよ」というわけです。まだ20代半ばと若かったこともあり、そう言われて私は腹が立ちました。

自分と現地パートナーが見ていたのは「同床異夢」だった!?(画像:123RF)