金属加工の井口一世(東京・千代田)は2001年に2人で創業し、現在社長以下45人で108億円を売り上げる企業に成長している。社員1人当たりの売上高はトヨタ自動車の約3倍という驚異の製造業だ。金型を使わない・いわゆる切削加工はしない、試作ゼロ円という事業方針の下、カスタマイズできる工作機械、データ、そして優秀な人材により、それを実現している。同社の、このビジネスモデルの成り立ちと今後を社長の井口一世氏に聞いた。
(聞き手/日経BP 日経トップリーダー編集 田中 淳一郎 構成/片瀬 京子)
先代が創業した会社を承継されたのですよね。
井口一世氏(以下、井口):いえ、私が起業したんです。
父は従業員50人ほどの金属プレス加工と金型製造の会社を経営していました。一旦はその金属加工会社を承継したのですが、10年ほどしてその会社の先が見えてしまったので廃業し、しばらくして2001年に今の会社、井口一世を設立しました。
私は父の会社を継ぐ気はありませんでした。大学卒業後はどこかに就職しようと、あちこち面接に行きました。素行はほどほどにいいと思うのですが、あまり成績が良くなかったからでしょうか、就職には失敗しました……。それで父の会社の子会社に世話になっていたとき、父が亡くなり、事業を継がざるを得ない状況で一旦は継いだ、という経緯があります。
事業承継当時、製造業は3K(きつい、汚い、危険)といわれていたとはいえ、日本の金型産業はまだ勢いがありました。それでも承継した後に、プレスや金型の製造業もだんだんと海外へシフトします。ですが、私たちには海外へ出て行く資力はありませんでした。

株式会社井口一世代表取締役社長。1978年に立教大学経済学部経営学科卒業。2001年に井口一世を創業、代表取締役に就任。「金型レス」「切削レス」を掲げ、業績を伸ばしている。社長職を務めながら大学に通い、09年に東京農工大学修士課程を修了。15年、経済産業省がバックアップする「世界最先端の試作・量産加工センター」サービス、「なんとかなる」プロジェクトのリーダー企業として株式会社なんとかなる(東京・千代田)を設立(写真:清水真帆呂)
そこで考えたのです。このまま製造業を続けるのなら、3Kでなく社員が友達にも親にも自慢できるような製造業を目指したい。それも、日本国内に居ながら世界一になれる製造業。海外に向けて「日本円を持って日本語で買いに来てください」と言えるような製造業です。
考え付いたのが、お客様に金型レスで製品を提供できる金属加工業でした。今でもそうですが、お客様から見ると、金型は非常に高価で、作るのに時間もかかるという問題があります。この問題をクリアする製造業ならやっていけると思いました。
カスタマイズできる工作機械を購入
今では金型なしの金属加工を実現されていますが、どこから取り組んだのですか。
井口:承継した会社のお客様に複写機メーカーがありました。その複写機メーカーに金型なしで部品を提供できれば、ものすごく喜ばれます。しかし、複写機の部品は精密ですから、金型なしで作ることは普通できません。そこを何とか金型なしで作れるようにしよう、それが私たちの挑戦でした。
まず実行したのが、自分たちでカスタマイズできる工作機械を購入することでした。ソフト面からでもハード面からでも改造ができるマシンです。金型なしで製品を作る事業を成功させるためには、工作機械を改良、設定しながら、そのマシンで製品を効率よく作り上げなければと考えたのです。
他社が同じ工作機械を買えば、同じ製品ができるというのでは意味がありません。世界の中で当社にしかできない製品を一から作ることができる、自分たちでいろいろと設定できる機械を探しました。
このときありがたかったのは、私たちのメインバンクである地元の地銀から融資を受けられたことです。製造業では、機械を買うにも材料を買うにも多額のお金がかかります。お客様に製品を納めてお金を回収するまでには、材料購入から半年ぐらいかかりますので、半年分の運転資金が手元にないとやっていけません。
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