田中:学生マンション事業と比べると、緩やかなペースでの成長を図っています。高齢者向け施設には人が必要だからです。オープンの半年前からスタッフをそろえて準備を進めるのですが、そのスタッフの確保が大変なのです。
サ高住にはさほどスタッフが必要ないという印象もあったのですが、入所される方は自分の体力や今後の生活に不安がある方が多く、訪問介護事業所が併設されていないとなかなか入居者が集まりません。当然スタッフも相当数必要になります。住宅と介護を分離せず、一緒に運営しているのは当社の特徴といえると思います。
ほかに、外国人向けの日本語学校を函館、京都、福岡で経営しています。
これは先代の社長が始めたものです。高齢者向け住宅を展開するには人材の確保が必要です。国内の学生が減る一方で留学生は増えていますが、留学生を介護施設で採用する仕組みはできていません。その一助となると考えています。
関連して、留学生は住居を見つけにくいという問題があります。なので、海外から人材を送り出す側の企業と提携して、東京・高田馬場に住まいを紹介するための専用の事務所も置いています。
最近は、中国・香港・台湾・韓国からの学生は、日本人と同じ家賃帯のところに入居します。ベトナム、ミャンマーなどからの留学生は都心でも家賃3万5000円くらいのところを希望しますが、そういう物件があまりありません。
まだビジネスとしては成り立っていませんが、京都で2歳児からの幼児教育も手掛けています。
保育士の資格を持っている当社の会長が、お客様の生まれたときから亡くなるときまで関わりたいという思いで始めたものです。保育園・幼稚園以外の幼児教育サブスクールのマーケットは大きいと思っています。

「御社が潰れたらどうするんだ」
もともと田中さんがこのビジネスに関わるようになったきっかけ、あとつらかった経験があれば教えてください。
田中:私は1976年に立命館大学を卒業しました。オイルショックの影響で就職が振るわなかった時期です。事務機器のディーラーに9年間勤めていましたが、誘われて今の会社の前身である京都学生情報センターに入りました。
当時の学生マンションは、一番古いものでもまだ5年はたっていませんでした。私は4番目の社員でした。皆が背広を着ていなくて楽しそうで、これはいいなと思って入ったのです。
京都で学生と名の付く不動産会社としては3番目に古い会社だったのですが、社長が京都にいては負けるから東京へ行くと言い出して、本社は京都に置きながら、いろいろなところへ出掛けていきました。
よく覚えているのは、90年だったと思うのですが、ある物件を手掛けたときのことです。京都で130室ぐらいのマンション用地を仕入れた会社が、バブルがはじけたので高値で売れそうもないということになって賃貸物件に変えたのです。
その物件を当社に任せたいという話があり、私が東京の本社に呼ばれて説明しました。10年間借り上げて、その後も家賃を保証していきますという話をしたのですが、そのオーナーの会社から「保証をしてくれるのはありがたいが、御社が潰れたらどうするのだ」と言われたのです。
ご理解いただいて契約はしていただきましたが、信頼のなさに本当に悔しい思いをしました。でも、つらかったのはそれぐらいですかね。
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