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元祖「金沢カレー」を売り物に、北陸・東海を中心に直営とフランチャイズで32のカレー専門店「カレーのチャンピオン」を展開するチャンピオンカレー。石川県野々市市にある本店は1日に最大で2000人を集客する人気店だ。地元の企業やキャラクターとコラボしたレトルト商品の投入やツイッターでの絶え間ない情報発信などによる人気を衰えさせないための工夫、また“チルドカレー”流通による加工工場の有効活用、地代の高額な東京への進出策などについて南恵太社長に聞いた。


三代目ですね。


南恵太氏(以下、南):そうです。祖父の田中吉和が1961年に金沢市内で「洋食タナカ」として創業しました。私は創業者の娘の息子に当たります。私の母の兄、伯父が二代目を継ぐ話もあったのですが、病気で早世したこともあり、父が継いで、そのバトンを私が受けたことになります。

 父の代の2006年に、当時の当社には少し大きすぎる工場を造り、急に企業規模が大きくなったものですから、近いうちに手伝うタイミングが来るなと感じて戻ってきて、今に至っています。

南恵太(みなみ・けいた)
チャンピオンカレー代表取締役社長。1985年、石川県野々市市生まれ。米カリフォルニア大サンディエゴ校経済学部を卒業後、2009年に大和総研に入社。外食企業にっぱんなどを経て、13年チャンピオンカレーに入社。同年7月常務、16年から現職。創業家の三代目。趣味はネットゲーム(写真:山岸政仁)

 大学を出た後は大和総研に勤務していました。09年入社で11年には2社目に移っていますので、2年ほどですが。それもあって、入社以前から当社の財務状況を見ていたのですが100点満点以上の成績でした。営業利益が10%以上も出ていたのです。

 ところが、財務状況をつぶさに見てみると「この数字、違うな」と思いました。粉飾という意味ではなく、数字を出すためのコストを掛けていないという意味です。このままでは持続的な経営は望めない。当時、当社はカレーを唯々諾々と作る人の集団でした。組織をどうしようとか、卸をどうしようとか、考えてやってはいましたが、会社の経営としては至らない点が多々あったのです。

 その後、当社に入社することを前提に「魚がし日本一」という立ち食いずしなどを展開するにっぱんという企業に転職しました。外食産業を学びに行ったのです。1年と少しの間でしたが、セントラルキッチンで魚をおろすことから始まって、居酒屋業態の店舗に出て、店舗開発や営業企画、本部と、ほぼ全ての部署を経験させてもらいました。

 にっぱんは当時、年間50億~60億円を売り上げる会社で、チャンピオンカレーは当時6億円ぐらいでした。なので、同じ外食と言っても違うところは多いのですが、それでも当社の経営には改善すべき課題が少なくなかったことを改めて学ばせてもらったのです。

パートナー契約の内容に課題が残っていた


具体的にはどのような経営課題があったのでしょうか。


:1つは、パートナー企業に他の地域での店舗展開を担う地域フランチャイザーになってもらうための契約でした。かなり疑問符の付く条件で結ばれていたのです。

 工場を新設したこともあり、両親は多店舗展開したいと考えていて他社とパートナー契約を結びました。ところが、そのパートナーは、フランチャイジー出店の際の加盟金で儲けていくという発想のようで、あまりマネジメントできていない出店が続いていたのです。でも、こちらからは手出しできない契約です。

 このため、パートナーとの関係改善を図りながら、次のけん引役となる事業を見付ける必要がありました。