“名古屋めし”の1つ、立派なエビフライと活魚料理を売り物に、愛知県の知多半島と名古屋市周辺で「まるは食堂」などをグループで9店展開、2020年に70周年を迎える、まるは。重要な経営課題は、財務強化と、人材の確保・育成と坂野豊和代表は言う。新しい業態展開による経営基盤の安定化、また「中小企業は身近な範囲でいいのでオンリー1を目指すことが大切。採用も、そのこだわりに対する共感から始まる。社員のゴールは経営者」という独自の人事戦略などについて聞いた。
2020年に創業70周年を迎えるに当たり、今年のテーマとして“礎”を掲げていますね。
坂野豊和氏(以下、坂野):今は、徐々に経営環境が変化する時代を超えて、経営環境がガラッと変わってしまうような変化の激しい“非連続の時代”です。明日、何が起こるか分かりませんから、とにかく経営基盤を安定させる必要があると考えています。これまでの原点である食堂を大切にしながら、今後の礎を築いていきます。
当社グループでは現在、知多半島の南端の南知多町で「まるは食堂旅館」という南知多豊浜本店と、知多半島の常滑市に中部国際空港店、りんくう常滑店、名古屋市街のラシック店、チカマチラウンジ店、JR名古屋駅店、名古屋市郊外のイオンモール大高店の6店舗の「まるは食堂」を経営しています。
坂野豊和(ばんの・とよかず)
株式会社まるは代表取締役。1975年、愛知県南知多町生まれ。94年、愛知県立武豊高校卒業後、株式会社ツーリストトップワールド(名古屋市)に入社。98年、祖母の故・相川うめ氏が創業したまるは食堂の危機を知り、実家に戻りまるは入社。その後、創業者の思いへの原点回帰による社内改革を実施。2006年、代表取締役就任。現在はグループ会社4社の取締役を兼務。豊浜観光協会会長など地元経済界の公職も務める(写真:森田直希)
まずは、この中で最も古く規模も大きい本店の建て替え問題に備えます。本店は1976年築ですから、今後十数年で建て替えが必要なのです。本店建て替え中の受け皿をどうするか。受け皿がなければ、財務への影響、社員が働く場所の減少、お客様のニーズを満たす場所の減少という影響をもろに受けます。
これまで店舗を増やしてきたのも、この問題を解決する目的で進めてきたものです。新たな事業も手掛けつつあります。
バーベキュー施設やパーキングなどの新規事業を拡大
1つは、同じ南知多町で開業4年になる「マルハリゾート」というバーベキューも楽しめる業態です。
もう1つは、まるは食堂のりんくう常滑店近隣には「まるはドライブインりんくう常滑店」を開業し、ここにはセントラルキッチンも造りましたので、2019年8月にオープンした中部国際空港隣接の愛知県国際展示場へのケータリングやテークアウトに力を入れていく予定です。
食堂とは全く関係のないような太陽光発電事業も手掛けています。地元の方から弊社にならと提供いただいた隣町、美浜町にある土地で発電容量1.3MWの施設を運用しています。
この事業は財務面の補強と考えています。「他店には絶対負けられない」とこだわっている高品質で大きなエビフライ用のエビが、今後なかなか捕れず仕入れ価格が上がっても、お客様にはできるだけお値打ちで提供したいという思いもあります。
エビについて言えば、実はこれ以上の新規出店はできないほど足りない状態です。大都会、名古屋の店舗のランチにエビフライは付けていません。マルハリゾートでも、単品のエビフライは用意していますがバーベキューにエビは付けず、地元の知多牛や野菜を楽しく食べてもらっています。
M&A(合併・買収)でパーキング事業も始めました。また19年11月には、購入した民宿をリノベーションして新たな宿泊施設としてオープンします。
リゾート業態は増やしていくのですか。
坂野:マルハリゾートと同じ知多半島の西海岸への展開を検討しています。その前に、今のマルハリゾートに結婚式場や宿泊施設を整える予定で、夏が中心の事業から冬でも収益を上げられる事業にしたいと考えています。
本当は、夏のシーズンが終わってからのイチゴ狩りができるエリアを造ることも考えていました。ただこの場所は、イチゴ栽培には少々日照に問題があることが分かりましたので、残念ながらこのプランは取りやめにしました。
とはいえ、知多半島は全体的に日照時間が長いので、太陽光発電だけでなく、イチゴやトマト栽培に適した土地だということは分かっていますし、今、知多半島でイチゴ狩りが人気になっています。なので、イチゴ狩りに関しては、イチゴ農家と相談しながら場所も再考し、再挑戦したいと考えています。
これまでの歩みを振り返っていただきたいのですが、もともとのまるは食堂は、南知多の街中でスタートしているんですね。
坂野:そうです。旅館営業の認可も取得した豊浜本店はもともと豊浜の中心部にありました。ここを拠点に1975年に新館、76年に別館、77年に「まるはドライブイン」と拡張し、78年にもともとの本店も大きくしています。4年連続で店を造っているんです。
当社は祖母が創業者なんですが、パートナーの祖父が勤めていた名古屋市のまるはという魚店をのれん分けしてもらい地元南知多で開業したのが始まりです。
祖母は、お店で魚を食べたいという人がいれば料理して出し、お風呂に入りたいという人がいればお風呂を提供し、泊まりたいという人がいれば泊めてあげるという“魚屋”になったんです。これがまるは食堂です。地元で、このまるは食堂を大きくし、自分の子供たちに経営を任せられるというタイミングの74年に株式会社化しています。
そうした過去を知っていましたので、私が22歳でここへ戻ってきたときも、私の右腕になる世代のメンバーが育った段階で、本格的な新規出店に取り組みました。2005年に中部国際空港が開業しましたので、そこに出店したわけです。この年にはラシック店も出店しています。このとき私はちょうど30歳でした。
バーベキューもできる新業態「マルハリゾート」。ここはさらに結婚式場としても運営できるようにする予定だ(写真提供:まるは)
褒められない料理を出しても何度かは来てくれる矛盾
地元から少し離れた中部国際空港に出店したときは、それまでとはフェーズが変わったと思いますが、いかがでしたか。
坂野:確かにオープン時は大変でした。従業員が集まらず、忙しさのあまりほかのことが手薄になりました。ただ、新館に温泉施設を増築した頃に、当社は最大の危機を経験していますので、その経験が空港店オープンのときに生きたと思います。
当時は、今会長を務めている父は店長で、父の兄が社長に就いていました。店舗も増えていましたから、それぞれの役割に一生懸命です。祖母は80代でしたが、元気な経営者として講演に引っ張りだこです。そのせいもあってか“報連相”ができていませんでした。継承していたはずの祖母の思いを忙しさのあまり、皆が忘れてしまった。社員同士のコミュニケーションがなかったのです。
93年からの5年間ぐらいは、忙しさにかまけて冷凍食材を使ったり、冷めた料理を出してしまったりという状態になっていたんです。当然、お客様からの信用を失います。店がひどくなるとお客様も変わってしまうのか、食い逃げされたり、靴がなくなったからとお金を請求されたり、といったこともしばしば起こるようになりました。
観光地のお客様は、たまに来る方がほとんどです。ですから、褒められない料理を出しても何度かは来てくれるという“矛盾”が生まれます。ただ、それが2~3回続けばお客様はもう来なくなります。
逆に言うと、新たな取り組みは1年後、2年後に効果が出ます。ちなみに名古屋の店舗では、来店の頻度は上がりますので、もっと早く効果が出ます。名古屋に店を出すときには、「お客様、地域、社員に愛される」という理念を改めて掲げています。
坂野:地元に戻った私は、すぐに支配人という肩書をもらいましたので、原点に返るべく、まず冷凍の食材を使うことをやめると決め、それを全廃しました。新鮮な食材しか使えない状況にしたんです。昔のように新鮮な食材をシンプルに提供することの徹底です。するとお客様が戻ってきました。中部国際空港が知多半島にできることを耳にしたのがこの頃です。
中部国際空港店では、祖母の思いを徹底し、お店のコンセプトもはっきりしていましたので、オープニングスタッフは皆やるぞ、という気持ちで仕事に臨んでいました。ですが、2005年は日本国際博覧会(愛・地球博)とも重なっていて景気が良く、もう忙し過ぎて1~2カ月でスタッフがどんどん辞めていったんです。
ほとんどが新規のスタッフでしたので、一人で頑張り過ぎて辞めていく。ただ、ホールのスタッフは辞めてもキッチンは誰も辞めませんでした。そこにはベテラン社員がいて、皆に目を掛け、声を掛けていたからです。社員同士のコミュニケーションがあったんです。
そこで、本社本店3階にある宴会場の運営をやめて本店の業務量を下げることで、ベテランスタッフを本店から空港店に送り込むという環境づくりからやり直しました。本店のいい雰囲気を空港店に移すということです。これでうまく回るようになりました。
今は、空港店でも辞めるスタッフはほとんどいません。今働いているアルバイトさんが新しいアルバイトを呼んでくれるような形になり、求人もあまり必要なくなりました。今は一番まるはらしいのが空港店じゃないかと思います。
坂野社長が「今は一番まるはらしい」という中部国際空港店。本店からのベテランスタッフを配置することで“本店の良さ”を持ち込み、経営が軌道に乗ったという(写真提供:まるは)
「潰れるのと違う?」という評価に胸騒ぎ
まるはに戻る前、旅行会社に勤務していたと聞いていますが、その頃からいずれは後を継ごうと思っていたのでしょうか。
坂野:いえ、継ぐ気はなかったんですが、状況が変わったということです。
旅行会社にいましたから、まるは食堂旅館に温泉施設ができたことで注目されていたのは分かっていました。ところが、時間がたつにつれて評判が落ちてくるんですよ。「行ったけどよくない」とか「おまえのところ、大丈夫か」とか。しばらくすると「潰れるのと違う?」とか。
旅行会社もこれからという3年目でしたが、当時の社長がのれん分けをして独立することになり、父の社長就任が決まって、父からはサポートしてほしいと言われましたので、ならばと戻ることに決めました。このとき、私だけでなく5人きょうだいが皆、戻ってきました。
父を5人のきょうだいで支えていく。そういう経営になるはずだったと思うのですが、私が改革を断行し、経営は軌道に乗り始めましたから、私は覚悟を決めました。30歳になったら社長になると。そのためには、まず身内に認められなければいけないと考えました。そしてがむしゃらに働きました。仕入れ、フロント、調理、宿直、温泉の掃除もやりまして、現場が分かるようになりました。
当時は地元のお客様がほとんど来てくれなかったのですが、地元の商工会・観光協会での公職にも精を出していましたら、地元のお客様にも来てもらえるようになりました。ということで、継ぐことも考えていなかった私が、早30歳からまるはの代表をやっています。
空港店が落ち着いてからの展開はいかがでしたか。
坂野:空港店の売り上げが伸びましたので、知多半島の真ん中辺りでセントラルキッチンが持てないかと場所を探していました。
するとちょうど愛知県から「“りんくう”に出てくれないか」という話を頂きました。最初はセントラルキッチンと魚を少し置ける水槽があればいいのかなと考えていたのですが、本店建て替えの必要性もありますし、災害発生時の受け皿もほしいということで、本社本店と同じような建物を造ろうということになりました。
りんくう店のある常滑地区はあまり外食をしないといわれていた地域です。業界では、そういう場所に店は出さないのがセオリーですが、逆に他店が入ってこないという点で、これもチャンスだなと思いました。
それで、本社本店と同じように、1階が食堂、2階が座敷、3階が宴会場という建物を造りました。座席数は本社本店が500以上なのに対してりんくうは260ほどなのでまだ完全な受け皿ではありません。ですからこの時点では、もっと新規出店をする必要がありました。
新規出店は社員の挙手制
それが、その後の名古屋駅周辺への出店につながるのですね。
坂野:チカマチ店、大高イオン店、それからJR店ができました。
デベロッパーなどからは、これまで100件程度の出店オファーがあったと思います。そのうち、私のところで断るのが8割ぐらい。残った20件のうち、社内から店長をやりたいという声が上がったのが、今、出店しているところです。
当社が苦しかった時期、トップダウンで物事を決めていたのも失敗だったと思っています。なので、トップダウンでの出店はしていないのです。「グローバルゲート」や「レゴランド・ジャパン・リゾート」などからもお話はありましたが、店長候補が出てきませんでした。
中部国際空港店は、皆が反対する中、アルバイトからずっとやってきてくれていた当時の料理長が「やってもいい」と言ってくれて、あの店は彼のおかげでできたようなものです。ラシック店も中途採用者がやりたいと言ってくれました。
例えばチカマチへの出店はどのようにして決まったのですか。
坂野:これも別の幹部が手を挙げました。
以前、名古屋駅の表玄関、「名駅には出たいね」という話を社内でしていまして、ところが駅ビル「JRセントラルタワーズ」には“名古屋めし”は入れないことが分かり、ペンディングになっていたんです。その話をその幹部が覚えていて、ならば同じ地区のタワービルにある「チカマチラウンジ」でやりたいと。
このときには「ナゴヤドーム」の案件もあったのですが、名駅が優先されることになりました。出店地を選ぶのは社員なので、私は楽なものです。
そうやっていると、社内にそういう文化ができてきます。社員が店長になりたいと手を挙げる環境づくりです。教育も、主体的に新しいお店をやりたくなるような社員を育てよう、となりますし、今では人が育ってきたという手応えを得ています。
もともと父が、私たち5人きょうだいに対して、5人が手伝ってくれれば、指が5本ある手のように器用に動くというようなことも言っていました。ずっと身内でやってきた会社で、確かに身内は頼れるのですが、社員を身内のように育てていく方向に切り替えたのです。
私は、5人といわず、両手分の10人を育て、任せるようにすればいいなと考えました。まずは10店舗を目指し「こんなところから声が掛かっているけれどどう」と話をし、手の挙がった店を出します。
新規出店は社員の挙手制。店長をやってみたいと社員がプロジェクトをリードする。主体的に仕事をする社員を育てる教育も軌道に乗った(写真提供:まるは)
社員教育もうまくいっているようですが、新入社員の採用はできていますか。
坂野:新卒は、今年4人、8月には中途で4人が入ってきてくれました。ありがたいことです。
中小企業が絶対にやってはいけないのは「人がいないから入れる」こと。
入ってもらってから自分たちの思いを伝えよう、教育しようとしても難しい。当社では、採用する前に、創業からの思いや理念、私や店長の考え方をしっかり伝え、納得してもらったうえで面接し、彼らが共感してくれたのを確認して採用します。
不遜なことを言うように思われるかもしれませんが、中小企業は自分たちが主導権を握れるように努力していく必要があると考えています。
実はこれは、祖母が築いてくれた伝統なのです。お客様に店に並んでもらえるようになれば、食材の仕入れ量が分かる。祖母が培ってきたのは、そうやって主導権を握れるようにする商売ですが、採用も同じだと思っています。
新規採用者はどんな会社かよく分かった状態で入ってくることになりますので、スタートラインが全く違います。まるはを理解して入ってくるのと、「あ、人数が足りないから入れられたんだな」と思うのとでは、入ってきた本人も先輩社員も、一緒に働く仲間としての存在意義が全然違います。
ですからそこは徹底してやっています。
地元の経営者を増やしていきたい
改めて今後の方針を教えてください。
坂野:世間では働き方改革といわれるようになったので、残業は減らさなくてはならないのですが、たくさん働いて働いた分だけ支払ってもらいたいという若いメンバーもいます。もちろん逆もあります。ただ、そこでもやもやするのではなくて、楽しく働こうという方針にしました。
当社では、皆で楽しさとコミュニケーションを膨らませます。なので今期は、十数年、毎日続けてきた数字報告を店長にさせないことにしました。
数字に目を向けて数字に悩むくらいなら、お客様満足に目を向けなさいということです。新鮮なものを新鮮に、まるはらしくやっていれば、儲けさせてもらえるし、儲けさせてもらったら還元して、また儲けさせてもらう。それが礎になると考えました。
グループは今、パーキング事業のM&Aが完了した段階で5社です。マルハリゾートやもうすぐオープンする宿泊施設もグループ会社化する予定です。社長がずっと居座っていると社員は社長になれません。今、地元でも廃業が増えて経営者が減っているので、経営者を増やしていきたいと考えているのです。これも10本指を目指しています。
まるはは、創業者である祖母の理念を継承しながら、お客様、地域、そして社員に愛される事業を展開すべく、社員とともに主体的に挑戦していきたいと考えているのです。
「中小がやってはいけない採用は『人がいないから入れる』こと。採用前に、創業からの理念や私や店長の考え方を伝え、共感してくれたことを確認して採用しています」という坂野豊和代表(写真:森田直希)
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