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1992年、幕末の陽明学者、山田方谷の教え「至誠惻怛(しせいそくだつ)」に通じる理念を掲げて起業。創業27年で関連会社50社、売り上げ4400億円超の企業グループをつくり上げた古川國久氏。前職で、病院に必要なものを全てそろえて提供するという「トータルパックシステム」を考案して手腕を発揮、その後、独立。病院のトータルプロデュースを主な事業に、最近では海外への進出のほか、切らずに治せるがん治療施設「大阪重粒子線センター」を民間で初めてプロデュースするなど、勢いは止まらない。2025年度に1兆円企業グループを目指すというシップヘルスケアグループの、軌跡とビジョンを聞いた。

グループ全体の事業について教えてください。


古川:今、5つのセグメントがありますが、グループの柱になっているのが1つ目のトータルパックプロデュース事業です。これは、病院の新設や移転、増改築などを私たちがワンストップで引き受ける事業で、私が社会に出てから55年間続けている、まさに祖業です。今では医療設備のハードから経営支援などのソフトまでトータルで提供しています。

 この事業は、私が前職で医療施設への設備・備品などを一括販売する中で構想したものですが、1972年にオープンした兵庫県の有馬温泉病院が実施第1号で、今日までにおよそ700の病院と約7000のクリニックを手掛けてきました。

 2つ目は、病院の日々の運営を支えるメディカルサプライ事業。これは、医療業務に欠かせない診療材料や医療用の消耗品を供給する事業です。第3は有料老人ホーム運営・フード事業を中心としたライフケア事業、第4は調剤薬局事業で、北海道から高知まで全国で100店舗以上あり、在宅サービスも展開しています。

古川國久(ふるかわ・くにひさ)
シップヘルスケアホールディングス株式会社代表取締役会長CEO。1945年岡山県新見市生まれ。64年、西本産業(現・キヤノンライフケアソリューションズ)入社、92年、同社役員を退任、同年シップコーポレーション(現・シップヘルスケアホールディングス)設立、代表取締役社長就任、トータルパックプロデュース事業を開始。同年グリーンホスピタルサプライ設立、代表取締役社長。2007年、東証1部上場。09年持ち株会社体制に移行(シップヘルスケアホールディングス設立)。14年から現職。趣味は愛犬ソイくん(ボストンテリア)の散歩と金剛山登山。山頂の葛木神社には鳥居を、山道には灯籠を会社から奉納。古川氏の金剛山登頂回数は現在1230回を越えている。16年5月には『SHIP 医療の現場を支え続けるシップヘルスケアグループ成長の軌跡』(日経BPコンサルティング)を発刊(写真:今紀之)

 そして5つ目、ヘルスケアサービス事業と呼んでいますが、このセグメントでは、海外展開や重粒子線治療施設のプロデュース、東京・昭島市の国際法務総合センターの運営受託といった新しい事業を展開しており、これからも新しい芽を発掘、育成していきます。

 生命(いのち)を守る人の環境をつくっていくこれらの事業を通して、社会への貢献をもっと高めていくことで、2020年度には5000億円の売り上げ規模を達成し、2025年度には1兆円にしていくことを目指しています。

必要なことは全て倉庫の仕事の中にあった


創業者である古川さんは、もともと医療機関にレントゲンフィルムを卸す会社で働いていたそうですね。


古川:私は岡山県立倉敷商業高校出身ですので、経理志望と思われていたようなのですが、研修期間中に「営業のほうが向いているのでは?」と思い、その希望を出したところ、何と倉庫に配属になったんです。

 ところが倉庫勤務を始めると、上司もいなくて組織らしいものもなく、それぞれが思い思いに仕事をしているようなところでした。とはいえ与えられた職場でしたので、そこで見よう見まねで仕事を学びました。ところが学べば学ぶほど、仕事に必要なことは全て倉庫の仕事の中にあることに気付いたんです。

 レントゲンフィルムとは別の事業だったスチール家具の組み立てやエアコンの据え付けから仕事をスタート。その後営業に移り、スチール家具の修理から始めましたが、あるきっかけで1966年に京都国際会議場(国立京都国際会館)ができるときには、この会議場に必要な設備什器(じゅうき)備品一式、13億円分を調達する仕事を獲得しました。

 この丸ごと一式を調達・納品する仕組みを医療機関に応用できないか……と思い付いたのがトータルパックシステムです。その後、他社が嫌がる大きくて重たいベッドの搬入、オートクレーブという滅菌装置の据え付け、無影灯の取り付けなどから徐々に自分で仕事を大きくしていきました。