チャットボット(自動応答システム)や、外食などの店舗とアルバイトの管理システムを開発・提供するベンチャーを2015年に起業したばかりの20代社長。提供しているサービスは既に大手企業や自治体、外食店などに採用されている。目指すは「機械ができることは機械に任せ、人がやりたい仕事をして生きる機会をつくる。日本にアジアの人々を呼び寄せる。そうして日本のプレゼンスを高める」という理想。今後、この理想にどう近づくのか、その構想に迫った。
起業までの経緯を教えてほしいのですが、高校を中退し、オーストラリアへ渡ったそうですね。
伴:中高一貫の進学校に片道1時間半ぐらいかけて通っていたのですが、家庭の事情で僕が家事をやるようになって、それが結構大変で休学しました。
半年間休学すると学年が1つ落ちます。バスケ部の後輩と一緒のクラスになるのかと思うとプライドが許さなくて、だったら退学して高卒認定試験に合格しようと退学しました。ところが、資格を取ったのはいいものの、日本の大学は18歳にならないと入れません。
幸い家庭の状況も落ち着きましたので、日本でのんびり過ごしているのも無意味と思い、オーストラリアの大学に入ろうと考えました。当時は、日本はオーストラリアにとって最大の貿易国で、現地での日本のプレゼンスは高かった。ところが現地で1年ぐらいたつと、トヨタ車の代わりにフィアットやヒュンダイのクルマが目立つようになりました。

hachidori代表取締役社長。1991年滋賀県出身。16歳で高等学校卒業程度認定試験に合格、オーストラリアへ留学。帰国後、早稲田大学入学。2012年渡米、現地校を経て投資銀行のインターンとしてM&A(合併・買収)ファイナンスに従事。再帰国後、14年SMBC日興証券投資銀行部門に入社。15年に現・hachidoriを創業し現職。当初はペットサービスで起業するも、同サービスをチャットボット化する過程で新たなニーズに気づき、16年にプログラミング不要のチャットボットツール「hachidori」をリリース。18年、店舗とパート・アルバイトの業務管理アプリ「CAST」をリリース(写真:山本祐之)
僕はいったん日本に戻って次に米国に留学したのですが、米国では、例えばソニー・ピクチャーズエンタテインメント配給の映画の宣伝ポスターが目立っていたのに、いつの間にか米中合作映画がメジャーになっていたりしました。映画を見ても、事件が起こるのはニューヨーク、ロンドン、東京がお決まりでしたが、それが東京ではなく上海になったりしたのです。
海外生活を通して、明らかに日本のプレゼンスが下がっていく様子を目の当たりにしました。僕はそれに危機感を覚えたのです。
スタートアップのスの字も知らずに起業した
日本のプレゼンスが下がるのは、政治経済の大きな課題です。そこで再び日本に戻ってきて、早稲田大学で経済を学びました。その過程でコーポレートファイナンス分野に興味を持ったり、プレゼンスが落ちているとはいえ、日本の企業は強いので日本企業同士の合併を支援して、よりグローバルに戦える会社をつくったりしたいという思いも抱くようになりました。
改めて米国に渡り、投資銀行でインターンを経験して日本に帰ってきてSMBC日興証券 投資銀行部門に就職しました。そこで僕が担当していたのは金融、石油、運送、空輸などの業界だったのですが、これらは霞が関との関係が強いため、とても意思決定が遅いのが特徴です。もっと物事をスピーディーに回せないのかと、若造ながら思っていました。
そういう話を、上司と飲みに行ったときに言い放つと「経営をやったこともないのに、偉そうなことを」と言われて、「なら、やってみます」と次の日に辞表を出しました。翌週には法人登記です。起業のキの字、スタートアップのスの字も知らずに、売り言葉に買い言葉でやってしまいました。
なので実際は、何をしていいのか分からずつらいだけでした。自分で言うのもどうかと思いますが、地頭はいいほうだし、投資銀行でも成績を出していたので「まあ、できるだろう」と思っていたのです。しかし全くできません。挫折です。スタートアップのコミュニティーにも入れませんでした。
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