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資本市場では、企業評価の尺度として働き方改革を重視する傾向が強まっている。一方、これに関係する企業側における情報開示は緒に就いたばかりだ。当パネルセッションでは、「投資家から評価される働き方改革や人材投資、これに関連する情報開示のあり方」などについて、日経「スマートワーク経営」調査の結果も踏まえつつ、人材管理の識者とESG投資の専門家が見解を述べた。

[この記事は「ヒューマンキャピタル2019」(主催:日本経済新聞社 日経BP、2019年5月29~31日、東京国際フォーラム )での講演をまとめたものです]

<パネリスト>
学習院大学
経済学部教授 副学長
守島基博氏

ニッセイアセットマネジメント
株式運用部
チーフ・コーポレート・ガバナンス・オフィサー 上席運用部長(投資調査)
井口譲二氏

<コーディネーター>
日本経済新聞社
上級論説委員 兼 編集委員
水野裕司氏

水野:本日のコーディネーター担当、日本経済新聞論説委員の水野です。企業の間で働き方改革が広がっていますが、資本市場の中で位置づけて捉えるということはあまりなく、その意味で当パネルセッションは野心的なものかと思います。

 議論を進める前に、日本経済新聞が「働きやすさ」の視点でまとめた日経「スマートワーク経営」調査の2018年度の結果の一部を紹介します。この調査では、19年4月の働き方改革関連法の施行に先行し、企業が削減した人件費などを人の育成に注ぐ姿勢が鮮明に出ました。例えば、企業として何が経営課題かという問いに対して、多くの企業が人材や働き方に関する項目を選んでいます。「人材の育成」「従業員の生産性の向上」「人材の確保・定着」「ワークスタイルの変革」「次世代経営層の育成」などです。人材や働き方への関心はやはり高いようです。

 調査では、主要企業の19年度の1社当たりの研修費が、16年度比で約1割増える見通しであることもわかりました。人材への投資は一気に大きくは伸ばせませんが、その中で1割というのは小さくない数字です。

 こうした状況について、人的資源管理論の専門家である守島さんはどうご覧になりますか。

守島:やはり企業は合理的に行動しているんだな、というのが第一印象です。競争力の源泉である人材の育成に力を入れないと競争に勝てないわけですから当然と言えば当然でしょう。バブル経済の崩壊後、日本企業の研修費用を中心とする人材育成投資はバブル絶頂期から半減しましたが、経営環境が厳しい今だからこそ、人材育成への投資がある程度戻してきたことが読み取れます。一点気になるのは、この研修費についての調査が「正社員の研修費用」となっている点です。正社員の研修はもちろん大切ですが、現場で働く非正社員の育成をどうするかがより大切な業界もありますから。

 それと、後の話とも関連しますが、これからの時代は自社の人材に関する経営努力や投資について、企業が株主に公開することがより求められます。この点は今回の調査だけではなかなか見えてこないことかなと感じました。

学習院大学経済学部教授・副学長の守島基博氏(撮影:稲垣純也(以下同))

水野:なるほど、調査結果だけでなく、調査自体にもいろいろ課題がありそうですね。

 今、守島先生からご指摘があったように、企業が人材についての取り組みをいかに的確に情報発信できるかは、投資家としても大きなテーマでしょう。企業の情報開示やガバナンスに詳しい井口さんの考えはいかがでしょうか。

井口:投資家が企業の人材投資に注目する大きなきっかけとなったのは、2014年の「スチュワードシップ・コード」の導入です。「スチュワードシップ責任」が明記され、「機関投資家は、中長期で企業の業績・成長を見る。中長期の視点で投資をする」という趣旨のことが定められました。経営戦略の達成に向けた確信度の把握という点において、人材投資はとても重要な判断材料として捉えられるようになったと思います。企業などの大きな組織を動かすときには「人をどう動かしていくか=経営者の執行力」が重要となるため、投資家が企業の経営者の執行力を見る上でも、人事・人材面での取り組みは注目点の一つとなったのです。

 では、投資家は具体的に人材投資の何を評価するのか、ということですが、最近注目されているES(従業員満足)ではありません。従業員が満足したとしても、働く意欲につながらなければ、投資家にとっては重要でないからです。ESではなく「従業員エンゲージメント」、つまり従業員のやる気を出す施策がとられているか、その情報が、外部に適切に発信されているかが重要となります。

 ある大手企業の例を紹介しましょう。その企業は海外企業の買収をしましたが、ポスト統合戦略について役員の方に具体的な施策を尋ねました。その中で「買収先の企業が社会的課題への関心が高い欧州の企業なので、日本の従業員の意識を高めるため社会貢献活動に参加させるようにしている」というお話がありました。社会貢献によって従業員の意識レベルを高めるという人材戦略を通じ、買収先との経営統合を成功させ、企業価値向上につなげる取り組みを行っていると理解します。人材投資については、このような観点で注目しています。