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在庫を抱えていた頃には、ネットで安売りをされてしまっていたこともあったそうですね。


:2011年のことです。私がこの会社に入ったのは10年10月で、翌年の1月に父が急に亡くなってしまい、私が後を継いで社長になったのですが、そこで直面したのがこのネットでの安売りでした。

 私たちのランドセルが1万円以下で売られているのを見つけたのです。原因は、大量生産の発想が災いして、ニーズよりも多くの商品を市場に投入してしまっていることだと感じ、生産量を思い切ってそれまでの半分にしました。社長になって、初めての大仕事がこれでした。

 この会社に入るときに、経営とは何をしたらいいのかと『ザ・ゴール』という本を読んだのですが、そこにも無駄なものは作らずに、流れを良くしろといったことが書かれていたので、うみを出し切ろうと決めたのです。

販路は一本に絞った


なぜ、極端な安売りが起こったのでしょう。


:当時は15社ほどの卸売業とお付き合いがあったのですが、皆さん同じ商品を扱うことになるので、店頭に並ぶ前にAという卸売業とBという卸売業との間で値段のたたき合いになっていたのです。

 そこで、一括管理の必要性を実感し、6年かけて、卸さん一社一社に丁寧に取引のお断りを入れながら取引先を絞っていきました。そして、もともと私たちのグループにあった卸に集約したのです。

ところで、100年も前の話になりますが、創業期はどのような事業をされていたのでしょうか。


:1919年に私の曾祖父が大阪で革製品の販売問屋を始め、祖父の代になって、発祥の地としている室津(兵庫県たつの市)に46年に工場を設けました。たつの市は昔から猟師の町で、革のなめしが盛んだったのです。

 革製品を販売していた頃は、キセル入れや財布などいろいろな革製品を手掛けていましたが、私の代にはランドセル一本に絞っています。

昭和30年代のセイバンの工場。担当作業をひたすら続け、技能の差があると途中に仕掛かり品がたまってしまう大量生産志向を長年続けてきた。ここにメスを入れたのが泉社長だ(画像提供:株式会社セイバン)

泉さんは、もともと4代目としてセイバンを継ぐつもりだったのでしょうか。


:姉と妹がいて男は私だけなのですが、継ぐつもりは全くありませんでした。私はサントリーに勤めていて、妻もサントリー勤務だったこともあり、ずっとそこで働くことも考えていたんです。

 ただ、父親には持病があって、あまり長くないことについても相談されていました。2003年に「天使のはね」が発売になって好評を頂き、当社を発展させるチャンスも到来していました。

 06年には、サントリーに早稲田大学のビジネススクールに通わせてもらい、そこで、それまで部分的にしか見えていなかった経営全体のことが見えるようになり、経営に対して興味も持つようになりました。ビジネススクールに通った後、結論を出すまで3~4年かかってしまいましたが、10年に戻ってきました。