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書を書くことそのものは結構、好きだったのですか。

鎌利:そうですね。趣味なんて多分、これくらいしかなくて。

純粋に楽しい時間?

鎌利:ああ、それはもう、その通りです。飯を食わなくてもずーっと筆を持って楽しく書いていられて、そのまま朝になっていた、みたいな。それで親に怒られる、という子供時代(笑)。

井上:Facebookなどで、鎌利さんの書道教室の写真を見ますが、本当に楽しそうですよね。鎌利さんが楽しんでいるから、みんなが楽しくなる。そんな空気が伝わってきます。

鎌利:井上さんが、本で紹介している孫さんの言葉で、「賢いばかりではダメなんです。愚直なまでに掘り下げていかないと」というフレーズがありますよね。あれは印象深くて、書家は、パフォーマンスのような分かりやすく目立つ活動の前に、ベースの部分がしっかりしていないとダメなんです。そのベースづくりは、ひたすら愚直に書き続けるしかない。

 毎日1時間でも2時間でも、30分でも筆は持つ、筆がなければペンを持つ。ペンでも鉛筆でもいいから、時間があれば、とにかく書く。日々、書いて書いて、書いていく中で、分かることがいろいろとある。

 孫さんが、事業家として「脳みそがちぎれるほどに考えろ」というのは、この感覚に近いと思うんです。何か1つ、アイデアを考えて終わりじゃなくて、もっとあるだろ、もっといいアイデアがあるはずだと、絶えず、深く、考え続ける。それが土台なんです。

「モナ・リザ」が名画である理由

 話が飛ぶかもしれませんが、「モナ・リザ」という名画が、500年以上も名画であり続ける理由は、(レオナルド・)ダ・ヴィンチが生涯、手放さずに加筆を続けたからではないかと思うんです。昨年、井上さんの本の表紙の揮毫(きごう)をさせていただきましたが、あの書も、本当は数日で書いて渡してしまうのでなく、何年も書き直して書き直して、これならばと納得がいくまでは、手渡してはいけなかったのかもしれない。

それでは本の表紙にならないという現実的な問題は、さておき。

鎌利:文字を書くという行為は、あと10年もしたら、実用的な意味を失ってしまうでしょう。キーボードすら要らない。人体にチップが埋め込まれて、考えた端から、テキスト化されていく世界に確実になる。あと30年か、40年もしたら、「手を使って字を書ける」のは、ごく一部の人だけで、ある種の伝統芸能になるのかもしれない。

 けれど、書家の僕は決して、未来を悲観していなくて、書くことの「面倒くささ」が、そのときこそ、大きな価値を持つのだと思います。手書きのメッセージを受け取ることで、「この人は、貴重な自分の時間を割いて、自分のことを考え、手を動かしてくれた」ことが、深く染み入る。手書きには、そういう意味があるということが今、共通知として浸透しつつあるのを感じています。

井上さんの著書の表紙に、鎌利さんが寄せた揮毫を眺めながら語り合う。孫社長に3案を提示し、選んだ1案は「孫さんのシャープさと柔らかさを表現した」(鎌利さん)という向かって左側の作品(写真:菊池一郎)