鎌利:そんなJ-フォンが、英ボーダフォンに買われて、さらに孫(正義)さんが買収。ソフトバンクモバイルとして「電波改善宣言」をぶち上げ、基地局倍増計画を推進していきました。

井上:そこで鎌利さんは、ある意味、頭角を現したわけですよね。11年には、孫さんの後継者を育てる「ソフトバンクアカデミア」の1期生に選ばれ、プレゼンで1位をとり、ソフトバンクの仕事でも、あの孫正義から「一発OK」と言われるプレゼンを連発した。そのプレゼンの極意は、前回、伺いました。こうして、ソフトバンクで順調にキャリアを重ねていた鎌利さんですが、13年、突然、退職された。

鎌利:2013年の9月7日(日本時間8日)。オリンピック招致の日本代表団のプレゼンテーションをずーっとテレビで見ていて、明け方に招致が決まった瞬間、「ああ、会社、辞めようかな」とつぶやいた。すると隣に座っていた、まだ小学校に上がる前の息子がひどく驚いた顔をしていて。「この人、大丈夫かっ!?」みたいな(笑)。

 アカデミアが始まった11年には、東日本大震災もありました。「つながらないソフトバンク」が、やっとつながるようになったという直後に、津波で基地局が流されて、またつながらなくなった。悔しい思いを抱えながら、避難所を回るうち、「自分は次世代に何を残せるのだろう」「何を残すべきなのだろう」という思いが募りました。あの「3・11」の4日後に、下の娘が生まれたこともあって、「次世代」のことが気になるようになっていきました。そんな思いに五輪招致決定が最後の一押しとなって、退職、独立を決意しました。

 時価総額200兆円を目指す大企業ソフトバンクの一翼を担い、その未来を描くのも、やりがいはあるし、楽しいし、光栄なことだけど、7年先に何が待っているかというと、東京でオリンピックが開かれて、世界中の人が日本に集まる。そのときに隣に座っている息子や、その下の娘に何を残せるかと考えると、自分にとっては「書」を基軸にした何かではないかと思ったのです。

 何しろ、孫さんはあと100年くらいは生きそうだから(笑)、ソフトバンクの未来を描くのは、別に僕でなくてもいい。けれど、たった一度のオリンピックの年に、海外から日本に来た人と、それを迎える日本の若者に「日本って、いい国だな」「日本の文化って、いいな」と思ってもらえる何かが、自分にはある。それならやろうと思って、9月8日、上役に「辞める」と言いました。

井上:さぞかし、驚いたでしょう。

鎌利:まず、「転職か?」と聞かれて、「独立です」と答えたら、「それならよかろう」と。

未来に残せるのは「好きなこと」

その後は、一般社団法人継未(つぐみ)を通じて、書道の教室を展開したり、株式会社固(かたまり)を設立して、プレゼンテーションの研修や講習を行ったり、多彩な活動を展開されています。

井上:独立の決断は、孫さんとの出会いと関係していますか。

鎌利:してます、してます。孫さんと出会ってなければ、きっと一人の会社員として生涯を終えたんでしょうね。ソフトバンクアカデミアの存在も大きかったです。

 孫さんをはじめ、社内外の強烈な方々との出会いを踏まえて、「自分は子供たちに何を残すのか」と考えたとき、気づくことがあったんです。それは、孫さんもアカデミアの方々も、要するに「自分の好きなこと」をやっている。本当にもう、あきれるほどにやりたいことばかりを(苦笑)。

 だから、自分も、自分のやりたいことをちゃんとやろう。 それが結論でした。

 孫さんのプレゼン資料もたくさん作りましたが、作れば作るほど、「これは、孫さんのやりたいことなんだ」と、分かるわけです。それこそ、自分が孫正義になったつもりで一生懸命に作るから、「前田鎌利のやりたいことは別にある」と、気づける。

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