2019年末「飲み会に出ない宣言」をした、伊藤羊一氏。ベストセラー『1分で話せ』の著者だ。

 伊藤氏と、作家・井上篤夫氏の対談企画の後編(前編はこちら)は、伊藤氏が「飲み会に出ない」と思い至るまでの軌跡と、その真意。

「ダメダメなビジネスパーソンだった」と、20代の自分を振り返る、伊藤氏。38歳でプレゼンに開眼し、40代でソフトバンクグループ・孫正義社長の後継者を育てるソフトバンクアカデミアに参加した矢先に、東日本大震災の復旧現場に立ち、リーダーシップに目覚めた。

 けれど、孫社長の強烈な存在感に圧倒され、次第に距離を置くように――。

 自分の道が見えた今、再び孫社長の言葉に対峙し、心に刻む言葉とは。

 井上氏の近著『孫正義 事業家の精神』刊行を記念した対談企画。

前回は、遅咲きの伊藤羊一さんが、文具メーカーのプラスで40代にしてリーダーシップに目覚めたいきさつをうかがいました。
 2011年、ソフトバンクアカデミアで生身の孫社長に触れた衝撃の直後に、震災の復旧現場で奮闘。それまで人を率いる仕事に縁がなく、「リーダーシップが白紙だった」という伊藤さんは、だからこそ孫社長の考え方をぐんぐん吸収していきました。けれど2年ほどして、「これ以上、『孫正義』を吸収してはいけないな」と感じ、距離を置くようになった、ということでしたね。

井上篤夫(以下、井上):そんなときに、僕と羊一さんは内モンゴルに旅行をした。

伊藤羊一(以下、羊一):アカデミアのような場で孫さんに触れると、「自分も事業で大成功しなきゃいけないのかな」という気持ちになるんですよね。けれど、僕は本当のところ、お金の計算は苦手で事業に向いていない。

井上:激しく共感(笑)。

羊一:そもそも稼ぐとか、収益を上げる仕組みをつくるといったことにあまり興味が持てない。じゃあ、事業に興味が持てなかったら、まるでダメなのかというと、それも違いますよね。自分の道って、目指して探せば、何かあるはずで、そこを追求していくのが今は一番かなと、どこかで感じていたんです。当時はなかなか、言語化できなかったんですが。

そして、内モンゴル旅行の翌々年、プラスから、ソフトバンクグループのヤフーに転じました。

羊一:そのきっかけも、遡れば、2011年の一連の出来事ですが、加えて、宮坂学の存在があります。

「爆速経営」からの誘い

宮坂氏(現・東京都副知事)は、12年、故・井上雅博氏からヤフー社長を引き継ぎました。1996年の会社設立当初から社長としてヤフーをけん引してきた井上氏から、当時、44歳の宮坂氏へのバトンタッチは注目を集め、「爆速経営」というスローガンも話題でした。

羊一:そんなヤフーの経営体制の刷新自体が、ソフトバンクアカデミアから始まっていた側面があります。村上臣(現・リンクトイン日本代表)さんが、アカデミアのプレゼン大会で「ヤフーの経営体制はもったいない!」と言って、モバイルシフトの遅れを鋭くついた。あれが一つのきっかけでした。

井上:彼(村上氏)も、内モンゴルに来ていたよね。

羊一:そうでしたね。で、宮坂のことは、アカデミア時代から知っていました。その宮坂が、社長就任の翌年、僕がグロービスで教壇に立つようになったことを知って。ほかで研修をしていたのも宮坂は見ていて、声をかけられたんです。

「ちょっと羊一さん、ヤフーでもやって(教えて)よ」と。

対談中。伊藤羊一氏(右)は、井上篤夫氏(左)の最新刊『孫正義 事業家の精神』を付箋を付けて読み込んで臨んだ(写真:菊池一郎、以下同)
対談中。伊藤羊一氏(右)は、井上篤夫氏(左)の最新刊『孫正義 事業家の精神』を付箋を付けて読み込んで臨んだ(写真:菊池一郎、以下同)

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