あの孫正義からの転職の誘いを断った男――。そんな逸話で知られるのは、ベストセラー『1分で話せ』著者で、ヤフーのコーポレートエバンジェリスト、Yahoo!アカデミアの学長を務める伊藤羊一氏。自ら立ち上げたウェイウェイ(東京・大田)の社長でもある。
ソフトバンクグループの孫正義社長を30年以上、取材してきた作家・井上篤夫氏が、伊藤氏の強烈な「孫正義体験」を掘り下げる。
「ダメダメなビジネスパーソンだった」と、20代の頃の自分を振り返る伊藤氏が、40代でいかにリーダーシップに目覚め、自分を変えたのか。遅咲きビジネスパーソンの成長物語に照らして、孫正義論を語り合う。
井上氏の近著『孫正義 事業家の精神』刊行を記念した対談企画。
井上篤夫(以下、井上):羊一さんと僕が初めて会ったのは7年ほど前、2013年の夏なんだけど、噂には聞いていた。「ソフトバンクアカデミアに孫正義からの入社の誘いを正面から断ったやつがいるぞ」と。
伊藤羊一(以下、羊一):いやいや。孫さんにはもうそんな記憶はないでしょう(苦笑)。孫さんなんて呼ぶと、偉そうですが。
井上:確かに、本当は「孫正義社長」と呼ぶべきなんだけど、僕らとしての敬意を示すためにも、今日は「孫さん」と呼びたいんだよね。
羊一:井上先生に初めて会ったあのときは、その孫さんの「誘いを断った」一件も含めて、いろいろと複雑な思いを抱えていた時期で、井上先生にはたくさん話を聞いてもらいました。
井上:「井上先生」はやめてよ、恥ずかしいからさ。僕は、今日は「羊一さん」と呼ばせてもらうよ。
羊一:では、せんえつながら井上さん、直接、お目にかかるのは初対面のあのとき以来ですね。あのときは内モンゴルに向かう飛行機に乗るのに空港で待ち合わせて。
井上:そうそう。羊一さんと同じアカデミア1期生で、内モンゴル出身の布和賀什格(ふわ・はしが)君のコーディネートで、アカデミア生たちと一緒に旅行したんだよね。でも、フライトは皆バラバラで、初対面の僕と羊一さんが2人きり、行きも帰りも同じ飛行機に乗ることになった。北京での乗り換えもややこしくて、僕はずっと羊一さんにくっついていった。
羊一さんにとっては、人生が大きく変わる分岐点だったよね。体形だってあれから随分変わったじゃない。
羊一:一念発起、3カ月で10キログラム、落としましたから。
ダメダメ銀行員がベストセラー作家に
「孫正義の誘いを断った」というのは、どういういきさつだったんでしょうか。
羊一:僕はもともと、ビジネスパーソンとしてはダメダメだったんです。
どのくらいダメダメだったかというと、新卒で日本興業銀行に入って早々に職場になじめずメンタル不調に陥りまして。若手の段階で社会人として大きく挫折し、周回遅れの再スタートを切った後も、金髪にして「組織にあらがう銀行員」を気取ってまともに仕事をしないという体たらく。今でこそ、プレゼンの研修やワークショップの講師をしていますが、当時は人前で話すとなるとすごく緊張してしまって、とても苦手だった。
銀行に十数年勤めた後、30代でご縁があって、文具メーカーのプラスに転職。オーナーの今泉嘉久社長の薫陶を受けます。そして、プラス時代の2005年、38歳でグロービス経営大学院に通いました。ここで僕なりにプレゼンのコツをつかんで自信を得たのが、最初の著書『1分で話せ』につながったんです。
井上:大ベストセラーだよね。
井上篤夫氏(左)と伊藤羊一氏は、約7年前の内モンゴル旅行以来の再会(写真:菊池一郎)
羊一:その後2010年、さらに大きな転機があって、「ソフトバンクグループの孫正義社長の後継者を育てる」というソフトバンクアカデミアの募集をたまたま目にして応募した。
選考がすべてプレゼンで、最終選考を「孫社長が見る」というので興味を持ったのです。そうしたら、1回目、2回目の審査を通過して、なんと孫さんの目の前で5分のプレゼンをすることになった。
至近距離ですよ。2、3メートルかな。そんな近くに、あのすごい経営者がいる。
「うわ、いるわあああ! 」みたいな感じ。
でも「うわ、いる」だけでは終われない。
「あなたはすごい人かもしれない。でも、俺だって考えていることがあるんだっ!!」
そんな思いでぶつかっていったら、孫さんも応えてくれました。合格して、アカデミアに入ってからも、何度も孫さんの前でプレゼンする機会をいただき、「面白いね」と言ってもらえた。
そうやって孫さんの前で初めてプレゼンしたのが、2011年の2月で、翌3月が東日本大震災。
あのとき、僕はプラスで中間流通部門にいて、そこで扱うのは文具だけじゃないんです。電池や軍手、長靴、台車など、震災からの復興に必要不可欠な物資を多く扱っていて、その物流を何としても早急に復旧させなくてはいけないという事態に直面していました。そこでいつの間にか、復旧のリーダー役になって、周囲に指示を出していたんです。自分の判断で。そして結果としては、極めて早いスピードで復旧を実現して東北からの注文に応え続けた。
それは大きな転機で、それまでの僕は「自分の価値観で決める」ということを仕事でしていなかったんです。A案とB案があったら、それぞれのメリットとデメリットを示し、「Aのほうがいいと個人的には思いますが」などと言いながら、最後の判断は上司に委ねる。自分で意思決定をしていなかった。でも、震災のときの自分は違って、自分の価値判断で「Aだ!」と決めていて、それはまったく新しい感覚でした。
そして5月にグロービスの卒業式があって、そこで代表謝辞を述べた。2011年は2月、3月、5月と大きな出来事が3つも重なって、濃厚な時期でした。
これ以上「孫正義」を吸収したらいけないなと
あのころの僕は、ほとんど初めて、リーダーシップというものに触れたんだと思うんです。
それまでの僕は、社会人としてリーダーシップを発揮することはあまりなくて、リーダーシップという分野がほとんど白紙だった。
それが、震災からの復旧でリーダー役となり、孫さんという強烈なリーダーに触れた。あの時期、孫さんはアカデミアによく顔を出していたし、僕も、井上さんの『志高く』(実業之日本社)はもちろん、ほかにもたくさん孫さんの本を読んだ。それで、何か「うおおおおおお!」と……。
井上:吸収しちゃったんだね。孫さんを。
羊一:吸収しすぎたんで、あるとき「もういいか」となってしまった(苦笑)。というか、「これ以上、吸収したら(孫さんを追い求めて)自分が自分でなくなる」というような複雑な思いがあって。
井上:孫さんは、周囲にいる人をガーッと引きつけちゃうからね。ときどきバーンアウトしちゃう人がいる。
羊一:ああ、何となく分かります。
ご自身も一時期、そういう感覚を覚えた?
羊一:僕の場合は、そういうことがあるかもな、と思ったくらいですが。
ソフトバンクアカデミアでは、プレゼン大会が頻繁に開催されるんです。テーマが提示されると、アカデミア生がこぞってエントリーして、予選を勝ち上がると、孫さんの前でプレゼンできる。
僕は最初から、1回たりとも予選に落ちないで、毎回、孫さんの前でプレゼンしていた。そうやって1年以上がたったあるとき、もう7回目か8回目になる孫さんの前のプレゼンで、「これだ!」っていう、会心のプレゼンをしたんです。
そうしたら、孫さんが厳しい顔をしている。
なんでだろう、と、思ったら、孫さんが「伊藤君、君のプレゼンはいつも楽しみにしている。今日も楽しかった」という。そして、それからいきなり、強い口調で「なんでおまえは、俺と一緒にやらないんだっ!」と。
ええええ? と、僕はびっくりして。
「なんで俺と一緒にやらないっ!」
それから、「おまえはプラスのオーナーの息子かっ!?」と聞かれて、「いやいや、違いますよ」と。すると、「だったら、なんで俺とやらないっ!」と詰めよられて、正直、僕は「何をこの人は言っているんだ」と。それで「俺は、そういうつもりでここに入ったんじゃないんです。あなたの下で働くつもりで、ここに入ったんじゃないんです! ……でも、ありがとうございます」みたいな感じで返した。孫さんはもう、忘れていると思いますけれど。
井上:いや、そうやって熱くなった孫さんを、そんな具合にいなした人はほかにいないと思うよ。
羊一:後で、周りの人からそう言われました。それであらためて「孫さんが誘ってくれたんだ」と思って、また驚いて(笑)。
でも「待てよ」と、考えたんです。
孫さんの下で働くのかというと、自分には「働かない」という意思が、明確にあった。志には共鳴するけれど、一緒に働く気持ちはない。しかし、ここでこうやってプレゼンを続けることは、毎回、孫さんから5分という貴重な時間を奪うことになる。それはいけない。孫さんの下で働く気持ちがない以上、自分がここに居続けてはいけないだろう。
そう思って、それから一切、プレゼンにエントリーしなくなったんです。
アカデミア生ならば、プレゼンにはエントリーするのが当然で、ずっとエントリーしないと、どこかで自動的に辞めさせられるはずなんです。ところが、いつまでたっても辞めさせられない。責任者の方に尋ねたら「OBとしてアカデミアを盛り上げるために残ってほしい」ということになって、それ以来、僕はアカデミアの「OB」です。
そうやって「孫正義の誘い」を断り、それから「離れた」というわけですか。
羊一:そうですね。それから、もう7、8年になりますが、去年の年末、井上さんが出したこの本(『孫正義 事業家の精神』)を読み、久しぶりにその言葉に触れて、自分で思っている以上に「孫正義」が、自分に染みついていたことを思い知らされました。無意識のうちに染みこんでいた。
「経営者は1、従業員は300」を読んで、びっくりしました。「俺と同じことを言ってる!」と。
よくプレゼンの研修で言うんですよ。
「いいか、みんな。プレゼンの前には当然、練習しているでしょ。何回くらいやっている?」
「1回とか2回、3回で、『やっている』とか、言っているんじゃない? 10回くらいで、喜んでいるんじゃない?」
「いいか、俺が最初に孫さんにプレゼンしたときは、300回、練習したんだよ」
本にあったあの話と同じですよね。孫さんが、弟の泰蔵さんを叱りつけるくだりと。数字まで一緒ですよ。1と300というね。
つまり、自分のオリジナルだと思っていたけれど、実は孫正義が出典だったのか、と。衝撃です。今まで意識していなかったけれど、どうやら、俺のこのあたり(おなかのあたりを指す)には「孫正義」が住み着いていたらしい、と。
井上:でも、そういう言い換えは、羊一さんの行動力だと思うんだよね。「1分で話せ」とか「0秒で動け」とか、これまでに吸収してきたことの中から、ああいった名フレーズを生み出すのが、羊一さんのすごさで、それは一種の行動力なんだと思う。
それは孫さんも、心地よかったんだと思うんだよね。羊一さんのプレゼンを聞いていて。自分の存在を、名フレーズに転換していく羊一さんを見ることが。羊一さんも心地よかったんじゃないかな。
羊一:そうですかねえ……。
井上:心地よくなければ、孫さんの前で5分も話せないよ。
共感はするけど、俺は俺
羊一:そこをちょっと掘り下げると「心地いい」んだけど、「心地悪い」んです。
井上さんがこの本に書かれた「狂え」とか「まだまだ何も成し得ていない」とか、それでも「志はある」とか、孫さんにすごく共感するところはたくさんあって、そこは心地いい。だから、孫さんと同じことをいつの間にか言っている。
ただ一方で、人にはそれぞれに道、ウェイ(way)がある。この人には「このウェイ」があり、あの人には「あのウェイ」がある。
井上:「ウェイウェイ」だね。羊一さんの会社の名前。
羊一:そうなんですよ(笑)。
でも、2011年当時の僕は、「自分のウェイって何だろう」というのがよく分からなくて、孫さんみたいに起業して事業家にならなきゃいけないのかな、と悩んだりしていた。「孫さんのウェイ」と「自分のウェイ」の違いが、自分の中でやっと明確になってきたのは、ここ最近のことなんです。そういうタイミングで今、この本を読むと……。孫さんに初めて触れたあのころの自分が戻ってきた感覚があって……、泣けてくる。ヤバい。個人的にこの本はヤバい。
対談中、井上篤夫氏の著書の感想を尋ねられた伊藤羊一氏。孫正義社長との出会いにまつわるさまざまな思いが交錯し、涙ぐむ(写真:菊池一郎)
羊一:内モンゴル旅行で井上さんと語り明かしたあのころは、僕には、何か「孫正義に対するアンチテーゼ」みたいな感覚があって。
井上:それは、すごく感じたよ。
羊一:アンチといっても、孫さんが嫌いなわけじゃなくて、孫さんは孫さん。
井上:俺は俺、ね。
羊一:そう。孫さんは希代の経営者でいらっしゃるし、最先端を走る異能を育てるし、1番にとことんこだわる。けれど、僕はそうじゃなくて、異能だとかそれ以前に、ただもんもんとしている人たちもたくさんいて、そういう人たちに力を与えたという思いがあって。
嫌いで別れるわけじゃない
井上:それぞれに違う道がある。今年はソフトバンクアカデミアができて10年目だけど、アカデミアが育ててきた「孫正義の後継者」というのは、「孫正義ダッシュ」じゃないんだよね。孫正義のそっくりさんをつくりたいわけじゃない。
羊一さんもそうだし、前田鎌利さん(一般社団法人継未-TUGUMI-代表理事、書家)も、林要さん(GROOVE X代表取締役)も、孫さんの思いを引き継ぎながら、それぞれの道で頑張っている。
羊一:そうです、そうです。それでたまたま、孫さんの会社に入っていった人もいれば、出て行った人もいるけれど。
井上:根っこのところではつながっている。志は同じ。
羊一:間違いなく言えることは、みんな、孫さんと出会ったことで明らかに人生を変えています。
井上:確かに。あれほどほかの人の人生を変えてしまう人はいない。
前編は、ここまで。次回、後編は「孫正義」の存在によって、羊一さんの人生はどう変わっていったのか。そこから「孫正義論」を深めます。
(構成:小野田鶴=日経トップリーダー)
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『志高く 孫正義正伝』を著した、作家・井上篤夫が
30年以上にわたる取材で知った、
事業家・孫正義の魂の発露たる言葉と行動を記す。
2019年度中間決算説明会で大赤字を発表した際にほえた、
「反省もするが、萎縮はしない」をはじめ、36編を収録。
日英両語で発信。両語を突き合わせて読める体裁に。
孫氏が米国メディアで答えたインタビューなどから、
孫氏らしい英語、シンプルで力強い日本人の英語の再現を目指した。
表紙揮毫(きごう)は、書家・前田鎌利(ソフトバンクアカデミア第1期生)。
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