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クリームパンと言えば八天堂。こんなイメージが定着するほど、ヒットが続いている。 始まりは12年前、100種類以上あったパンを「くりーむパン」一つに絞った決断にある。 一度は倒産しかかった会社を再建した森光孝雅社長が、生みの苦しみの舞台裏を語った。

2007年に100種類以上あったパンを「くりーむパン」一つに絞りました。大胆な決断です。

森光: 「倒産するかもしれない」という恐怖を二度と味わいたくない。この一心からでした。

 2001年頃、八天堂(広島県三原市)は倒産寸前でした。私は1997年に和菓子店を営んでいた父の後を継ぎ、パン店中心の業態に変えました。一時は県内に13店を出すまでに拡大したのです。しかし、無理な出店などで運営面がおかしくなり、社員が次々に辞めて業績が悪化。閉店も相次ぎ、債務超過に陥りました。

 窮地の中、地元の食材や天然酵母を使った無添加のパンを県内のスーパーに販売する卸売りに事業を切り替えました。すると、他社が手がけておらず、少しだけ利益が出るようになったのです。

 それでも、いい時期は長く続きません。同じ事業に大手や中堅のパンメーカーが参入してきた。規模の小さい当社は、1日1便しか商品を運べず、売り切れたらその日は補充ができない。徐々に棚を奪われました。そこで多少でも体力が残っているうちに、次の一手を打とうと考えたのです。

森光孝雅(もりみつ・たかまさ)
1964年広島県生まれ。パン職人としての修業を経て、父が経営する八天堂に入社。パン事業を立ち上げ、97年に社長に就任した。パン店を13店まで拡大するが経営危機に。パンの卸事業を経て、100種類以上あったパンを「くりーむパン」1種類に絞って経営を立て直した(写真:下川高広)

過去の成功と失敗に学ぶ

それにしても、100種類以上のパンを扱う卸事業から「くりーむパン」一つに絞るという発想は唐突な気がします。

森光:それまでの商品開発の失敗と成功の原因を徹底的に分析しました。パン店で失敗したのは、趣向を凝らした商品にこだわり過ぎたから。珍しい商品は、最初は興味を引いても、すぐ飽きられる。アンパンやクリームパンなどの定番商品に磨きをかけないと、常連客は獲得できないと悟りました。

 一方、卸事業が当初成功したのは、健康志向のパンという明確な特長があったからです。こうした分析結果から、定番でかつ明確な特長がある商品作りが必要という方向性が生まれました。

 その視点で見ると、2005年頃から単品で成長している店が増えていることが分かりました。

 例えば、首都圏では洋菓子のラスク専門店「ガトーフェスタ ハラダ」が台頭。地元の広島県三原市でも、知人の共楽堂の社長が、求肥(ぎゅうひ)でマスカットを包んだ和菓子「ひとつぶのマスカット」だけを東京に売り込んでヒットさせた。

 そこで、当社も定番でありながら強い特長のあるパンを一つ作り、それだけを売ると決めました。