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あんた、花してはりまんの?

 イスラム文化の研究者で、哲学者、思想家でもあった井筒俊彦氏の本を、心理学者で文化庁長官も務めた河合隼雄氏が読んで、そのことを本に書いた。その本を岸田氏が読み、感想を新聞に寄稿したのだった。

 稲盛氏はこう話す。

 「井筒さんはヨガの瞑想をしていたそうです。その井筒さんがおっしゃるのには、瞑想をすると、自分が『ただ存在しているとしか言いようのないもの』で成り立っていると感じる。同時に、周囲にある森羅万象すべても『存在としか言いようのないもの』で出来上がっていると感じられる意識状態になるという。

 『人は〝花がここに存在する〟と表現するが、〝存在というものが花をしている〟と表現してもおかしくないのではないか』。井筒さんは本にそう書いたそうです。

 この井筒さんの本を河合さんが読み、著書の中で『あんた、花してはりまんの? わて、河合してまんね』と表現した。これを岸田さんが読み、何と素晴らしいことかと感じたという話が、そのコラムに書いてありました」

 「あんた、花してはりまんの? わて、河合してまんね」というのは、何ともほのぼのとした言葉でありながら、哲学的な示唆に富む。稲盛氏は岸田氏同様、この話に大きな衝撃を受けたという。

 ここからが、東証講演の肝である。

 「私は一生懸命に頑張って会社を立派にし、数十億円の利益が出るようになった。そのとき、これはオレがやったんだ、オレの才能で、オレの技術で、オレが寝食を忘れて頑張ってきたのに、そのオレの給料が300万円しかないとは、割が合わんではないか、『オレが、オレが』と思った。

 私はシリコントランジスタの入れ物を作り、超LSIの発展と共にセラミックのパッケージを供給しました。半導体の勃興期、私は大変な貢献をしたと思っています。そして、そういう才能をオレが持っていたから京セラが上場し、大変な利益を上げるようになったのだと考えていました。

 しかし、岸田さんのコラムを読んだときから、こう思うようになりました。

 『半導体が勃興していくには、ある人間が必要だった。たまたまそれが「稲盛和夫」であっただけで、ほかの存在が「稲盛和夫」と同じ才能を持っていれば、その人が代行していてもよかったはずだ。 私が一介のサラリーマンであってもおかしくはない』

 つまり我々が生きている社会は、壮大なドラマだと思うのです。劇場です。その劇場で、たまたま私は京セラという会社をつくる役割を担い、京セラという会社の社長を演じることになった。ただし、それは『稲盛和夫』である必要はなく、そういう役割を演じられる人がいればよい。たまたま、私であっただけなのです。