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経営体制に関して、老舗ならではの問題はありましたか。

石川:身内に対する甘さがありましたね。親族を社内に多く入れ過ぎて、経営体制が不安定になっていました。

 もともと花園万頭には一子相伝で、同世代は1人しか入社させない原則がありました。にもかかわらず、祖父(5代目社長の利夫氏)が息子かわいさに、長男の父だけでなく、次男、三男も会社に引き入れ、株も分散させてしまった。

 その結果、私が入社したときには父が社長、次男は経理担当、三男は工場の生産担当と、役割分担ができていました。3人でうまく連携が取れていれば問題ありません。しかし、それぞれが縦割りというか、自分の領域以外は知らないという雰囲気になっていた。

 3人のうちの誰にどう話を持っていって、誰の顔を立てたらいいのか分からず、社員が迷っていたこともありました。

 私も3人との意見調整が大変だったので、彼らの守備範囲外である人事総務や営業に取り組むしかありませんでした。

 それだけならまだしも、次男や三男の親族も会社の役員にして株を持たせていた。企業統治という意味では非常に不安定な状態だったのです。

 株の分散については、金融機関の指摘で、後になって分かったことです。当時は気付いていませんでした。一時は本家の株の所有が50%を割っており、慌てて60%に引き上げたほどです。

営業を巡る対立

複雑な経営体制の中で、改革を進めなければならなかった。

石川:営業戦略を巡って、父と対立しました。父は東京銘菓というブランド価値を守るため、首都圏の百貨店だけに出店を絞っていました。その方針を私は曲げ、90年代後半から首都圏以外での百貨店の出店に踏み切ったのです。

 理由は、売り上げ増によって借金の返済原資を確保するためです。90年代後半から百貨店自体の業績が悪化し、首都圏で閉店するケースが出てきた。このままでは共倒れになると危機感を持ちました。

 東京銘菓という希少性は薄れますが、地方の百貨店からの出店要請もあり、攻めていくしかないと自分を納得させました。

 もし借金の返済負担が軽ければ、首都圏での展開に限ってもよかった。縮小均衡で店舗数自体を減らし、伝統の味を守るという手法も取れたはずです。

創業184年の老舗はこうして潰れた

6億円を売り上げていた東京駅構内の2店から撤退を余儀なくされたことなどで、営業赤字が常態化します。

石川:2店のうち1店は家主が代わったこと。もう1店は駅構内の耐震補強工事で撤退せざるを得なくなったことが第一の原因です。ただ、駅売りの厳しさがあったのも事実です。百貨店と駅では、売れる商品が異なります。

 駅でよく売れるのは、一見客が手土産として簡単に買える商品。クッキーなど1000円で10個、20個入っていて日持ちするようなものが主流です。まさにファブレスの新興企業の得意分野です。

 一方、当社の商品は1個350円で消費期限が3日という花園万頭に代表されるように日持ちしないものが多い。しかも、買うのは固定客が中心。駅売りを伸ばそうと思えば、商品構成をもっと変えていく必要がありました。しかし、過去の負債がネックとなって、スピード感に欠けた。

 それでも挑戦はしていました。プリンの上に餡がのった「東京あんプリン」や、スイートポテトの中に餡が入った「東京スイートポテあん」など。どちらもそれなりに売れていたのですが、道半ばで終わりました。