
旧ボブソン(東京・港)、ビッグジョン(倉敷市)、エドウイン(東京・荒川)──。これらの国内大手ジーンズメーカーは、経営破綻か経営不振を経験している。一因は「ユニクロ」や「H&M」など、ファストファッションの台頭だ。
そんな大手を横目に堅調な経営を続けるのが、ベティスミス。売上高は約15億円、社員数約60人という中小企業のどこに底力があるのか。
女性特化が変革の原体験
大島康弘社長の父の邦雄氏が、大島被服としてベティスミスを興したのは1962年。当初はビッグジョンの下請けを担っていた。
だが、70年に国内初の女性用ジーンズ専門メーカーに転じる。このとき、当時まだ存在しなかった女性用という新市場を自らの手で切り開いた。これから紹介するベティスミスの数々の変革の裏には、創業期の原体験がある。
重要な決断をする際、大島社長はこの原点に戻る。「市場の先行きを読み、他社より一足早く動くのが、うちのDNA。原体験を大切にし、自ら進んで変わろうとする“変わり癖”を組織に植えつけてきた」(大島社長)。
特に売り方に関して、ベティスミスの既成概念にとらわれない姿勢は徹底している。それが最も強く現れたのが、80年代半ばの量販店への進出と、90年代後半~2000年代初めの撤退だ。
量販店へは、社内の猛反発を押し切って進出した。80年代半ば、「ニチイ」や「ダイエー」(いずれも当時)などの総合スーパーに邦雄氏は着目。多店化の勢いを見て「大きな販路になる」と踏んだ。
だが、社内の職人から大反対に遭う。ジーンズショップという従来の販路で商品が手堅く売れていたからだ。しかも当時、量販店にジーンズを卸していたのは、「ノンブランド」と言われる下請け企業。ジーンズ専業でない場合もある。彼らと同列の商売をするのは、自社ブランドを持つ専業メーカーとしての誇りが許さなかった。
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