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富も名声も得たカリスマの転落劇から、ビジネスと人生の失敗学を探る本連載。
今回は番外編。かの天才科学者アイザック・ニュートンも、18世紀イギリスを席巻した「南海バブル」に翻弄され、約4億円をスッていた。一方、「暗黒の木曜日」を前に喜劇王チャップリンが見せた驚くべき行動とは――。
ピストル自殺した「悲劇の相場師」、岩本栄之助のエピソードを交えつつ、投資における「損切り」の難しさとノウハウを考察する。

 「私は天体の動きは計算できるが、人々の狂った行動は計算できない」――天才科学者アイザック・ニュートンが、株式相場について語った言葉だ。

 ニュートンが生きた時代、イギリスでは株式市場が急速に発達し、多くの人々が売買に熱中していた。このときに発生したのが南海泡沫事件だ。

 一七二〇年、政府が売り出した額面百ポンドの「南海会社」の株式が爆発的な人気を集め、八月には一千ポンドを突破する暴騰を見せる。この動きに乗じようと、実態のない会社の株式が次々に売り出された。「泡沫会社」(Bubble company)と呼ばれたこれらの会社の株価も急上昇、株式市場は狂乱状態となった。

バブルにおける「人々の狂った行動は計算できない」

 ここで、危機感を強めた南海会社が訴訟を起こし、政府も規制に乗り出したことで、泡沫会社の株価は暴落する。ところが、南海会社の株価も煽りを受けて十二月には百二十ポンド台まで暴落、株式市場は大混乱となり全財産を失う人が続出した。

 これが「バブル」の語源になった南海泡沫事件(The South Sea Bubble)であり、その様子を見ていたニュートンが「人々の狂った行動は計算できない」と語ったのだ。

 しかし、そのニュートンも結局、南海会社の狂騒劇に飲み込まれ、苦杯を嘗めることになる。そのいきさつは後ほど紹介するが、いつの世も人々は相場に幻惑され、熱狂し、絶望してきた。

アイザック・ニュートン。相場の罠はこの天才科学者をも翻弄した(写真:Science & Society Picture Library/アフロ)

 岩本栄之助をご存じだろうか。明治から大正の時代に名を馳せた相場師だが、株式投資での失敗からピストル自殺を遂げた。

 “株屋”と揶揄され、儲ければ“成金”と言われていた時代にあって、栄之助はいわゆる「相場師」のイメージとは一線を画す存在だった。大阪市立商業学校で学び、性格は温厚。巨万の富を手にした後も腰は低く、人を思いやる人格者だった。“義侠の相場師”とも呼ばれた。