なぜなら、特許を取得した上で、使用料を無償にして全ての医者に開放することで、患者が痛みなく手術を安価で受けることができるようになる。また、特許を取得することで、発見者としての名誉も守ることができたはずだ。

 仮にモートンの特許が有効に維持されていたら、麻酔はお金に余裕のある人だけが受けられる「高価な医療」となり、外科手術も思うように進歩しなかったかもしれない。

 

 こうしたことを避けるために、特許戦略を展開しているのが、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授が率いる京都大学iPS細胞研究所だ。iPS細胞技術の基本特許を取得した上で、公的機関の研究者なら無償で、民間企業であっても最大数百万円というライセンス料でiPS細胞を作ることができるシステムをつくり上げたのだ。もし特許を取得していなかったなら、後から参入した営利企業が特許を取得し、iPS細胞を使った新たな技術開発が阻害されていた恐れがあった。

 こうしたことをウェルズに求めるのは、酷なことかもしれない。この当時、「医は仁術」であり、医学上の発見で特許を取得するのは、医学者の倫理に反すると考えられていた。しかし、特許に対する認識の不足が、ウェルズの失敗の本質にあることは間違いないだろう。

失敗の本質 ② 「発見」だけでは特許にならない

 「医は仁術」という医学者の倫理を破り、特許によって金儲けをしようとしたのがモートンだった。モートンは医者ではなく、詐欺を繰り返してきた男であり、医学者の職業倫理など持ち合わせていなかったのだ。

 しかし、モートンは金儲けに失敗した。特許戦略があまりに無謀だったのだ。

 モートンが特許を取得した麻酔は、患者の痛みを劇的に緩和するものだったが、その原理はエーテルを気化させて吸引させるという単純なもの。しかも、エーテルはモートンが「発明」したものではなく、自然界に存在し誰もが知っているものだった。エーテルがもたらす痛みの緩和効果に特許を与えることは、「喉の渇きを癒やす効果」があるとして「水」に特許を与えるようなものであり、そもそも特許に値しなかったのだ。

 モートンは後に、特許権を無視した政府に対して訴訟を起こした。しかし、裁判所は審理を途中で打ち切り、特許は申請された時点から無効であったとした。「新たな発明ではなく、以前からあった化合物の新しい使用法を保護しようとするものだ」というのがその理由であった。

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