クロロホルムは幻覚を引き起こす薬物であり、依存性が強く、最悪の場合には死に至る。亜酸化窒素のときと同様に、自らが実験台となってクロロホルムの効果を試す日々を送るうちに、ウェルズは中毒になってしまったのだ。

 一八四八年一月、ウェルズはニューヨークの警察署の中にいた。娼婦に硫酸を次々にかけたとして逮捕・収監されていたのだ。前夜に実験のためにクロロホルムを大量に吸引したことまでは覚えていたのだが、その先のことは覚えていなかった。正気を取り戻したウェルズは、自らが犯した罪に愕然(がくぜん)となった。有罪となるのは確実であり、恥知らずの犯行は、麻酔の発明者としての名誉を台無しにし、妻や知人たちを深く傷つけることにもなる。

 ウェルズは獄中で、事の顛末(てんまつ)を記した手記を書いている。「私のせいで、身内の者がみなどれだけ苦しむことになるのだろう。さらにつらいのは、重要な発見にかかわった者として、私の名が科学の世界ではよく知られていることだ」と、絶望的な胸の内を吐露する。

 翌朝、独房で死んでいるウェルズが発見された。秘かに持ち込んでいたかみそりで、左足の動脈を切り裂いたのだ。傷口は十五センチもあり、骨に達するほど深かったという。「麻酔の発見」からわずか三年後のことだった。

特許戦略から読み解く2人の失敗

 麻酔という世紀の発見をしたものの、全く報われなかったウェルズ。そのウェルズから麻酔を盗み出し、特許まで取得したにもかかわらず、目的の金儲けに失敗したモートン。彼らは一体どうすれば良かったのだろうか。

失敗の本質 ① 「特許=金儲け」という誤解

 ウェルズは自身が発見した麻酔を独占するつもりもなく、それによって金儲けをしようとも考えていなかった。患者を痛みから解放したいという純粋な思いがあり、医学の歴史に自らの名前が記されればそれで満足だった。そのため、麻酔を無償で仲間の医師たちに伝授したし、公開実技で広めようともした。「医は仁術」であり、特許を取得して金儲けをすることなど、考えもしなかったのである。

 しかし、たとえ金儲けをするつもりがなくても、ウェルズは特許を取得するべきであった。