こうした中、誰が麻酔の発見者であるかについても激しい論争が展開された。
ウェルズが発見した亜酸化窒素を使った麻酔を、エーテルに変えて特許を取得したのがモートンだった。
このモートンに対し、自分が発見者だと言い出したのがチャールズ・ジャクソン、モートンから亜酸化窒素に代わる薬剤を尋ねられ、エーテルを使うように提案した人物だ。
この論争に本当の発見者であるウェルズも参戦する。人の良いウェルズは、特許料などの金銭面の要求はせずに、発見者としての名誉のみを求めた。
この三人に加えて、「私は以前から知っていた!」という人が次々に名乗りを上げ始めていた。麻酔を巡る金と名誉の争いは泥沼化し、二十年たっても収束する様子はみられなかった。
「発見者」たちの悲しい最期
麻酔を巡る争いが延々と続けられる中、経済的に追い詰められたモートンは精神的にも不安定となり、言動がおかしくなり始める。一八六八年七月十五日の夜、妻とともに宿泊していたホテルを出たモートンは、突然馬車を降りると公園の池に飛び込んだ。近くにいた警官らに助け上げられたものの、病院に運ばれる馬車の中で息を引き取った。麻酔の公開実技成功から二十二年、四十八歳の生涯であった。
自分が麻酔の発明者だとして、モートンらと争いを続けていたジャクソンの最期も悲しいものだった。長引く争いの中でアルコール依存症に陥り、モートンの墓の前で叫び声を上げるようになった。意味不明の言葉を発し、身の回りのことができなくなったジャクソンは、精神病院で七年間の入院生活を送った後の一八八〇年に生涯を閉じた。
しかし、最も早く最も悲惨な最期を遂げたのはウェルズであった。
麻酔を巡る争いに疲れたウェルズは歯科医を廃業。複製画を額に入れて本物に見せかけて売ろうとしたりと、怪しげなビジネスに手を出して失敗を重ねていく。
一八四八年、ウェルズは心機一転、ニューヨークにやってきた。一度は辞めた歯科医の仕事を、エーテルの代わりにクロロホルムを麻酔に使うことで再開しようと考えたのだ。ウェルズは新聞広告で、麻酔を発見したのは自分であり、これまで誰一人として体調を崩した人はいないとした上で、「その感覚はきわめて愉快なものです」と結んでいる。
なぜ、「愉快」なのか……。

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