騙したペテン師も非業の死を遂げる
「ボストンのW・T・G・モートン教授。百十丁目と六番街の角で意識不明のところを発見され、聖ルカ病院に運ばれる途中で死亡」とその死を伝えたのはニューヨーク・ポスト。
一八六八年七月十五日、モートンも四十八歳でこの世を去った。「この(筆者注:麻酔の)発見者が、健康をそこない、事業は破綻し、財産は失い、借金に悩まされていることを思うと、『何もしない』のは『犯罪』とさえ思える」と、晩年のモートンを知る人物は、その境遇に深く同情した文章を雑誌に投稿している。
しかし、そもそも麻酔の発見者はモートンでなく、ウェルズではなかったのか。
モートンはウェルズに、どんな策略を仕掛けたのか。
麻酔を発見したという二人の男は、なぜ二人揃って哀しい最期を迎えることになってしまったのだろう。
人類が痛みから解放された日
ホレス・ウェルズは一八一五年一月二十一日、アメリカのバーモント州ハートフォードの裕福な大地主の家庭に生まれた。ボストンで歯科医師としての修業を積み、生まれ故郷で歯科医を開業したのは二十一歳のとき。真面目で研究熱心なウェルズは、義歯の製法で独自の技術を編み出すなど、常に患者のことを考える歯科医として評判になっていた。
そんなウェルズが更に大きなチャンスを掴んだのは、一八四四年十二月のことだった。
ウェルズは近所で開かれた「亜酸化窒素吸入効果の大実演会」というイベントを見物に出かけた。「笑気ガス」とも呼ばれる亜酸化窒素を吸うと、人が暴れたり踊り出したりすることが知られていた。ウェルズが見物した実演会とは、観客の中から希望者を募って舞台に上げ、亜酸化窒素を吸わせて、その滑稽な振る舞いを面白がるというものだった。
亜酸化窒素を吸ったウェルズが正気に戻ったとき、一緒に舞台に上がった知人が足から血を流していることに気づいた。その知人は舞台上で暴れ回り、椅子に足をぶつけていた。しかし、ウェルズが「けがをしているみたいだよ」と指摘するまで、彼は気づかなかった。
このとき、ウェルズは閃いた。亜酸化窒素を使えば、痛みなく虫歯を抜けるのではないかと。

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