東京での新規感染者の拡大に歯止めがかからず、「このままでは医療崩壊。第4波の大阪の二の舞いになる」という声も聞かれるようになってきた。

 2021年3~5月の「第4波」では、「地獄の大阪」と呼ばれるほどの修羅場を大阪の医療現場は経験していた。このとき現地で実際に何が起こっていたのか。外科医の中山祐次郎氏が、近畿中央呼吸器センターの呼吸器内科医である倉原優氏に、当時の様子を詳しく聞いた。

大阪の週別新規感染者数
大阪の週別新規感染者数
大阪府では2020年1月29日~6月13日を「第1波」、6月14日~10月9日を「第2波」、10月10日~2021年2月28日を「第3波」、3月1日~6月20日を「第4波」、6月21日以降を「第5波」として分析している(出典:大阪府感染症情報センター
[画像のクリックで拡大表示]

静かだった大阪の第1波、第2波

中山祐次郎氏(以下、中山):大阪での2020年の第1波はどんな具合でしたか。

倉原優氏(以下、倉原):ダイヤモンド・プリンセス号が横浜に到着して、感染症専門医の忽那賢志先生などが診療し始めていた頃、関西では、奈良県の観光バスの運転手が新型コロナだったということで、バスが立ち寄った店などを調査していたと思います。

<span class="fontBold">倉原優(くらはら・ゆう)</span><br />国立病院機構近畿中央呼吸器センター呼吸器内科医。2006年滋賀医科大学医学部医学科卒業。日本呼吸器学会呼吸器専門医・指導医、日本感染症学会感染症専門医。
倉原優(くらはら・ゆう)
国立病院機構近畿中央呼吸器センター呼吸器内科医。2006年滋賀医科大学医学部医学科卒業。日本呼吸器学会呼吸器専門医・指導医、日本感染症学会感染症専門医。

 実際のところ、第1波ではほとんど入院患者はいない状態で、このときは保健所から委託された帰国者・接触者外来の診療が主でした。昨年の1~4月で最も困ったのは、PPE(個人防護具、マスクやフェースシールド、ガウンなど)の不足です。ボランティア団体から、手作りのエプロンやフェースシールドを送ってもらいました。

 4月に複数の病院でコロナ病棟が正式に立ち上げられ、診療が始まりました。第1波のときは、私の病院は軽症中等症病床で、診療するCOVID-19患者さんのほとんどは軽症でした。このときはまだ平和でした。

中山:それから第2波、第3波と続き、少しずつ疾患の実態や予防法、治療法などが明らかになっていったと思いますが、臨床現場はどのようでしたか。

次ページ 誇張ではなく「ただただ地獄」