前回、新型コロナウイルス感染症に中山がどう対峙したかをお話しいたしました。ここでは、少しトーンダウンして、コロナ禍で私という外科医がどう子育てをしたか、そして現在進行形でどうしているかを少しお話ししたいと思います。

 コロナ禍により病院への出入りが厳しくなり、妻の出産立ち会いはおろか退院するまで一度も入れなかったことは前にお話ししたとおりです。とても残念だったのですが、正直なところ、どこか安堵している自分もいないわけではありません。同僚の外科医やその妻たちから、出産立ち会いにまつわるいろいろなことを聞いていたからです。

 外科医には、「予定手術」というものがあり、緊急手術のほかに毎週3、4件の手術を固定して病院のスケジュールに入れています。私が専門とする胃や腸の消化器外科の予定手術では、その日に合わせて患者さんは前々日に入院して前日から下剤を飲み、手術室を数時間ブッキングし、麻酔科医・手術室看護師最低2人と、手術によっては臨床工学技士1人を確保した状態で臨みます。

 手術室のスケジュールはパズルのようになっていて、余剰な人員などまったくいないのが普通です。これだけの人が動いていますので、替えがきく若手ならまだしも、執刀とその手術の全責任を持つ私くらいの中堅外科医(30代後半くらいから)になると、「すいません、ちょっと妻が産気づいちゃって」といなくなるわけにはどうしてもいきません。

 つまり、絶対にそのスケジュールに穴を開けるわけにはいかないのです。それこそ自分の親や家族が倒れたり急病になったり死んでしまったりしても、予定手術をやってから駆けつける、なんて話を聞くくらいです。

育児で役立つ外科医の意外なスキルとは?(写真:PIXTA)
育児で役立つ外科医の意外なスキルとは?(写真:PIXTA)

初めて抱く我が子のあまりの軽さに涙

 ですので、コロナ禍でよくも悪くも出産に立ち会えなかったのは仕方がない、とも思うのですが、やはり妻の死亡リスクが彼女の人生最大に高まるその瞬間に、手を握ってやれなかった後悔は小さくありません。

 特に私は緊急事態に能力を発揮する外科医です。自分の勤める病院でのお産を選ばなかったのですが、もし選んでいたら、妻の生命の危機を自らの手で救うことができたのに、と私は1人悶(もだ)えておりました。

 そして、妻が入院していなくなってしまったリビングで一人酒を飲み、最悪の事態を想像してしまうことも少なからずありました。このがらんとした家に一人住む。もしそうなったら、ここには住んでいられないな、などと思ったものです。毎晩寝付きが悪くなり、酒量は増えました。

 幸い、危ないことは起こらずに出産は終わり、その5日後に妻と子が退院してきました。それまでテレビ電話でしか会っていなかった、まだ見ぬ我が息子に初めて会えるその日、私は仕事が手につかず、早退したのです。

 国産中古の愛車のハンドルを握る手が本当に震えていたことには自分でも驚きました。どれほど大きな手術でも、どんな大きな会場で学会発表をしても、こんなことはかつてありませんでした。

 初めて会う我が子は、それは小さく、本当にほぎゃあ、ほぎゃあと泣いています。恐る恐る抱くと、そのあまりの軽さに涙が出てきました。そして、赤い皮膚を見ながら「だから赤ん坊と言うのだな」と思ったのをよく覚えています。

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