こんにちは、総合南東北病院外科の中山祐次郎です。今回は、ある厚生労働省が作ったポスターが問題視された件を取り上げたいと思います。
まずは近況を。師走に入り、ここ福島県郡山市では早くもフロントガラスが凍結するようになりました。ここでは「1人1台」が常識の自家用車も、みなさんスタッドレスタイヤに履き替えが終わった様子。私はすっかり忘れていたので、国産中古の愛車をディーラーに連れていきたいのですが、営業時間中に空きがなくどうにも困っております。
そんな折、ちょっとうれしいニュースが入ってまいりました。2018年の夏に出版した拙書『医者の本音』の台湾バージョンが完成したのです。そろそろ台湾でも売られているのでしょうか。
医療事情は少し違えど、台湾の方々と医者とのコミュニケーションが円滑になれば望外の喜びです。これで韓国、台湾へと進出しましたが、やっぱり英語にも翻訳されるような本を書きたいものですね。それを目標に頑張ろうと思います。
お笑い芸人が変な表情で写ったポスター
さて、では本題です。ことの発端は、厚生労働省が「人生会議」の啓発のためにお笑い芸人を起用して作ったポスターに対して、がん患者団体などが批判したことでした。人生会議とは、「もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取り組みのこと」(厚生労働省)。もともと医療界ではACP (Advance Care Planning)と呼ばれ、ふさわしい日本語がなかったために「人生会議」という愛称が作られました。
ポスターの内容を少し説明しますと、死期が迫った患者さんにふんしたお笑い芸人が、少し変な表情をして写っています。その写真には、「あーあ、もっと早く言うといたら良かった! こうなる前に、みんな『人生会議』しとこ」の文言が添えられています。ポスターをご覧になりたい方はこちらの記事をどうぞ。
批判の声が大きくなったため、厚生労働省は自治体へのポスター発送を中止。吉本興業への発注が約4000万円と高額であったとの指摘もあり、大騒動になりました。連日、新聞各紙やネットニュース、テレビ番組でも取り上げられたのです。
これに対して厚生労働省はホームページで、「この度、『人生会議』の普及・啓発のため、PRポスターを公開したところですが、患者団体の方々等から、患者や遺族を傷つける内容であるといったご意見を頂戴しております」と、掲載を停止しました。
医師の視点からも「不快」だった
では、具体的に「人生会議」とはどういうものでしょうか。「死ぬときに後悔すること25」で知られる緩和ケア医の大津秀一氏は、記事で、
- 本人の気がかりや意向
- 本人の価値観や目標
- (病気等に既にかかっている場合は)病状や予後の理解
- 医療や療養に関する意向や選好、その提供体制
を話すことを挙げています。
ここからは私見を述べたいと思います。
まず私は、このポスターを見て、「死」というものを扱うにはお笑い芸人の表情やせりふはずいぶんあおっているな、と感じました。医師として、日々患者さんのいのちをどうにか引き止めているがんの専門医として、はっきりと不快に感じたのです。がん患者さんの団体が抗議するのももっともだと思いました。
もちろん、「人生会議」の啓発をすることは重要です。個人の視点ではその人の最期の苦しみを減らし、残された家族や友人の後悔を減らし、また最期の医療をどうするかを決めておくことで混乱を減らします。国全体の視点で言えば、医療費の削減につながることでしょう。
現場の医者である私は、「ご家族が混乱と悲しみのさなか、意思表示できないご本人のことをおもんぱかって苦しい意思決定をする」展開を、毎週のように見ています。前もって決めておければどれほど悲しみは少ないのだろうか、と思わないことはありません。だからこそ私は15年に「自らの死を想(おも)う」ことを主題にした書籍『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』(幻冬舎)を書きました。
自らの死を想うことは大切だ(写真:Juice Images/amanaimages )
あおりと死のアンマッチ
しかし、このポスターが「啓発」という役目を負っていることを考えると、大声で「撤回せよ!」と言う気になれないとも感じるのです。啓発を達成させるためには、「その人のニーズを満たす」ことが大切ですが、そもそも「死」は、現代日本において忌避すべき事項になってしまっており、ニーズが潜在化しています。ですから生命保険会社では、突然亡くなり、その後家族が悲嘆に暮れるような動画を顧客候補に見せたり、若い重病患者を広告に出したりすることで、ニーズを掘り起こしているのです。
今回、このポスターで行われたニーズの顕在化は、
の2手法が使われています。
思うに、これらの方法は「死」とその過程を話し合う「人生会議」というものの性質とあまりにマッチしていなかったのではないでしょうか。
やり過ぎの一線はどこに?
私の感覚では、通常こういったことは言語化されず、作り手の感覚で「これはやり過ぎ」などと、うまい具合にバランスが取られているものだと思います。恐らくこのポスターの制作者は医療関係者でなく、死に近づくような病にかかったこともなく、ともすれば「人生会議」に疎遠な立場の人だったのではないかと思います。
そう推測しつつも、問題はこれにゴーサインを出した厚生労働省のみなさんの想像力かもしれません。担当の方、そういうことでお困りでしたら、ぜひ私率いる専門家集団にコメントをお求めください。4000万円よりはお安くしますので。
禁煙でも覚醒剤でも、啓発しようとしたら必ず傷つく人はいます。しかし、死を意識しつつも闘う人の多くを傷つけることは、私は許されないと思います。それは、私が医療者で患者さん側の立場だからかもしれませんが、やはり何度見返しても啓発を盾にした表現の一線を越えているように感じます。
そうはいっても、TBS系列のテレビ番組「サンデージャポン」で、「でもこれだけ話題になったから良い」というような意見もありました。「人生会議」がややゆがんで広まってしまったような気もしますが、「全く知られないよりは、言葉だけでも知ってもらえたらはるかにマシ」というのが私の立場です。そこまで狙っていたとしたら、なかなかのモノですがね。
「畳の上での最期」をもう一度
高齢化に伴い、これから多死社会となる日本で、「死を想う」ことは日本に住む全ての人にとってとても重要なことですが、どうしても「死を想う機会」はめったにありません。というのも、みなさんからそれを奪ってしまったのは、我々医療側なのです。昔は畳の上で死んでいた日本人は、いつしか病院で死ぬ人が大半になりました。
これをもう一度、自宅で最期を迎えるようにする。これがこれからの日本で必要なことです。それは間違いありません。今回のポスターの件は、この移行期に生じたきしみのように感じます。いささか極端で、やり方に問題はあったものの、引き続き厚生労働省には啓発を続けていただきたく思うとともに、私もやっていかねばと改めて感じさせられた騒動でした。
ちなみに、これを非医療者の妻に読んでもらったら、「批判は分からなくもないけど、真面目なポスターよりお笑い芸人起用のポスターのほうがたくさん(の人に)届くんじゃない?」とのこと。なるほど、一理あります。
記事の最後に、一方的な批判ばかりではひきょうなので、私からの建設的な意見として、
- タレントの顔が真面目だったら良かったのではないか
- 一定期間は公表・掲示して効果測定をすれば良かったのではないか
- 病院掲示用、一般掲示用と分けて作成すれば良かったのではないか
を挙げておきます。
この記事はシリーズ「一介の外科医、日々是絶筆」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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