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 こんにちは、総合南東北病院外科の中山祐次郎です。

 今回は、先日報道された当時44歳の女性が2018年8月に人工透析をやめ、公立福生病院で亡くなった件について、医師の立場から論じたいと思います。本件は、透析のみならず大変重要な議論を含んでいます。これから多死社会が到来する我が国で、「自分が生きるか死ぬかを決めるのは誰か」という問題が浮上してくるでしょう。読者の皆様すべてに無縁ではないお話です。どうぞお付き合いください。

 少し近況を。

 私は病院に所属する外科医ですが、1年だけメスを置いて京都大学大学院で大学院生をしておりました。医療行政・ビジネス・医療経済・疫学などを広く学び、4月1日より病院に復帰したのです。

1年の学生生活で気づいた医師の仕事の過酷さ

 1年間の学生生活ですっかりなまったのは、私の全身の筋肉、特に足腰でした。病院で外科医をやると、1日7時間ほどは立ちっぱなしです。そして階段の上り下りも実に20階分ほどになります。以前は気づきませんでしたが、どうやらかなりの肉体労働だったようです。復帰して数日がたちましたが、毎日クタクタになり、帰宅すると倒れ込むように寝ています。朝も7時前から始業しているので、ずいぶん早起きになりました。

 少し心配だった手術の知識や技術はどうでしょうか。幸いこちらはほぼ衰えることはなく、復帰することができました。自転車と同じで、毎日毎日同じことをやっていたのですから、1年くらい空いても忘れるはずはないのです。知識についても、本を読んでアップデートをしていたので、困ったことは特にありません。

 それでも困ったのは、スタッフのお名前をまあまあ忘れてしまっていたことでした。私の病院では外科病棟は3カ所にあり、それだけで約100人。外来スタッフ、そして手術室看護師やME(臨床工学技士)さんなどなどを合わせるとさらに50人ほどになります。実にいろんな方々とコミュニケーションを取りながら仕事をしていたのだな、と実感いたしました。

 しかも、「お久しぶりです! 小説出したんですね!」や「太りましたね!」など話しかけてくださる方が多く、面と向かって「名前、なんでしたっけ」と聞くわけにもいきませんから、チラチラと名札を見て思い出すことにしています。いや、申し訳ない。

 さて、本題に入りましょう。詳細は報道をご参照いただきたいと思いますが、3月29日付の朝日新聞の記事「透析中止『問題なし』 福生病院が初めて説明したこと」を参考にまとめました。