習近平・中国国家主席はTPPへの参加を検討すると表明したが、その本気度は?(写真:新華社/アフロ)
11月20日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席が環太平洋経済連携協定(TPP11)への参加意欲を表明して、波紋を呼んでいる。
APECは1980年代に日本の発案を受けてオーストラリアのボブ・ホーク首相(当時)が提唱して設立された。その際の日豪の思惑は、世界がブロック経済化する恐れがある中で、米国をアジアにコミットさせることを狙っていた。そのAPECにおいては、トランプ政権の無関心もあって今や米国の存在感は薄い。代わって設立当初は加盟していなかった中国が一段と政治的アピールをする場と化しているのは皮肉なことだ。
習主席がTPPへの参加を「前向きに検討する」と述べたのが、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)協定に署名した直後だけに、自由貿易の推進者であるかのごとく振る舞う格好のタイミングであった。そういう政治的計算はさすがにうまい。
問題はその本気度だ。
単なる思い付きではないことは確かだ。この公式発言が初めてではない。今年5月の全国人民代表大会(全人代)での記者会見で、李克強(リー・クォーチャン)首相もTPP11参加への前向きな姿勢を表明している。非公式には2017年1月に米国がTPPからの離脱を表明した直後からそうした発言をしている。米国不在で、中国が参加すれば存在感を高められるとの思惑はあるのだろう。
しかしどこまで腰を入れた取り組みになるか定かでない。
我々の常識では、首相がこうした発言をするのは、かなり詰めたうえで「いける」との確信があるときだ。しかし中国が我々と同じ感覚だと考えるのは間違いだ。堂々と政治的ポーズを繰り出してくる。
信頼できる中国研究の第一人者である國分良成・防衛大学校長は、中国の「言」と「行」の矛盾を指摘している。行動するかどうか分からないが、言葉を投げてどう反応するかを見るということだ。従って、我々は言葉に惑わされず、行動を見極めることが、中国と向き合ううえで大事だとのことだ。
改革逆行の習体制の本気度
中国のTPP加入へのハードルは結構高い。前稿で「TPPが1軍なら、RCEPは3軍」と書いた。それほど、TTP加入の際に満たすべき貿易自由化やルールのレベルは高い。そして「TPPに含まれるルールに従うこと」が新規加盟の加入条件であることは、明確に閣僚レベルで決定されている。
中国は、この厳しい加入条件を本気で満たせると考えているのか、甚だ疑問だ。
例えば、TPPは国有企業への優遇禁止など国有企業改革を迫る。習近平体制ではむしろこうした改革に逆行して、国有企業が民間企業を犠牲にする形で成長する、いわゆる「国進民退」が一段と鮮明になっている。
かつて改革開放路線の下で、世界貿易機関(WTO)に加盟して国内改革を進めようとした頃の中国とはまるで違う。本気度を疑うのは当然だ。
WTO加盟後の中国を見ても、さらに疑念が湧いてくる。改革を約束したとしても、中国が約束通り実施するかどうかだ。中国は2001年にWTOに加盟した際、例えば補助金の通報や透明性の確保など、多くの約束をしている。だが、20年たっても多くの約束が履行されていない。日米欧をはじめ、各国から長年問題視されている。今日のWTOの機能不全、規律の崩れの一因が中国にあることを忘れてはならない。
バイデン次期政権が始動する前の“駆け込み加盟”狙う?
「TPPは米国主導の中国包囲網であるのに対して、RCEPは中国主導だ」という論者は多い。しかし、これはいずれも短絡的な思い込みだ。経緯、背景を押さえず、今の米中対立の状況からだけ見る癖があるようだ。
RCEPは前稿でも指摘したように、中国ではなく東アジア諸国連合(ASEAN)主導で、運転席に座るのはASEANだとの自負がある。RCEP交渉はASEAN主導で開始され、ASEAN中心の原則が共同声明にも明記されている。ASEANは他のRCEP参加国と個別に自由貿易協定(FTA)を締結しており、RCEPはこれらを統合する構想なのだ。
TPPの交渉については2010年に米国も参加する形でスタートした。日本は2013年に交渉に参加している。当時は今日のような対中包囲網の意識が明確にあったわけではない。むしろ、いずれ中国の外堀を埋めて中国を参加させ、国内を改革させる関与政策の意識さえあった。中国も内々に参加を検討してみたが、自由化の高さについていけないとの結論だった。
しかし、激しく米中が対立する今日、中国はTPPを対中包囲網として受け止める。この包囲網を突破するのが最重要課題だ。そこに米国の大統領選挙の結果、バイデン氏が次期政権を担うことになることになって布石を打つ必要があった。中国の思考回路はこういうことだろう。
「仮にバイデン次期政権で米国がTPPに復帰する事態になれば、中国にとってはTPPがより強い対中包囲網になる最悪のシナリオだ。しかもバイデン次期政権は現在のTPPを修正して環境・労働・人権などの新たな要素を付け加えてくる恐れさえある。そうなれば中国にとってますます加盟のハードルが高くなってしまう。
将来中国が加盟申請しても、米国との激しい交渉が待ち受け、中国は明らかに弱い立場に置かれる。それを回避するためには、米国が復帰する前に先に仕掛けるのが得策だ」
こう考えると“駆け込み加盟”も現実味を帯びてくる。
これに関連して気になる論評がある。TPPから米国が離脱してTPP11の合意形成をする際、いくつかの条項は米国の復帰まで適用を凍結されている。その結果、中国にとって加入のハードルがかなり低くなっているので、中国の加入に問題は少ないとの指摘だ。
しかしここには大きな誤解がある。少し専門的になるが、今後を見通すうえで大事な点なので付言したい。
確かに知的財産などいくつかの条項は全加盟国に対して適用を凍結されている。この部分は新規加盟国に対しても凍結される。しかし米国が仮にTPPに復帰すれば凍結が解かれて適用される。そうなってから「できません」では済まされない。
さらに適用を凍結した条項の中には、国有企業の例外的扱いなどといった、ベトナムなど一部の国だけを対象とした項目もある。これらの条項については当然、新規加盟国には適用される。国有企業問題という中国が最も避けたい条項は最初から適用されるのだ。
ちなみにTPPへの参加の意向を伝えてきている英国は、当然すべての条項の適用を前提としている。中国だけ特別扱いはあり得ない。
日本はどう向き合うのか
結論として中国にとってTPP加盟のハードルが高いことは明らかだ。バイデン次期政権発足後TPPに対する方針を決めるまでの間、中国が次の一手をどう打ってくるかが注目される。なお台湾も加盟申請してくる事態も考えておく必要がある。
日本は米中の駆け引きの中、どういうポジションで臨むのか、難しい選択になる。まず米国の復帰を最優先するのは当然だが、中国がそれを見越してボールを投げてきたときにどう対応するのか。中国は中国市場の魅力で産業界を揺さぶってくるだろう。そうした中で「軸をもった外交」ができるかが問われている。
TPP11を成立させたのは安倍前政権時の戦略的な通商政策の成果として評価できる。しかしいまだ11カ国のうち批准は7カ国にとどまり、それ以外は国内調整が難航して批准のめどが立っていない。TPPの参加国を拡大することが日本の戦略であったが、英国の参加表明以外に目立った動きが見られない。タイなどASEANの中からの参加拡大が望ましいが、各国の国内状況はそれどころではない。
また日本国内の体制も内閣官房のTPP等政府対策本部が司令塔で、西村経済再生担当大臣が担当だが、RCEPはASEAN全体が相手となる交渉なので歴史的経緯から経済産業大臣が担当大臣だ。日EU(欧州連合)経済連携協定は外務大臣が担当だ。こうしてすべて担当大臣が異なっている。
安倍前政権では官邸主導外交で官邸が司令塔であったので、それでもよかったが、菅政権ではかつての外務省任せに逆戻りはしないか気がかりだ。来年は日本がTPPの議長国になる。バイデン次期政権に対するTPP復帰への働きかけと中国の揺さぶりへの対応という、両にらみの難しいかじ取りが迫られる。菅政権の通商戦略の正念場だ。
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