あえて「TikTok騒動」と呼ぼう。中国の動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」を巡る提携交渉は、同アプリの配信禁止を司法が一時差し止めて、先行きが見えなくなった。TikTokを巡る一連の駆け引きは一体何だったのか。トランプ流取引のおかげで、いつの間にか本質が見えにくくなっている。経緯を遡りながらTikTok騒動の深層を解説する。
米国が警戒する中国のデジタル戦略
そもそも、米国が中国のデジタル戦略の何を警戒しているのか、から話を始めよう。
2018年8月に成立した2019国防権限法で、華為技術(ファーウェイ)や杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)など、次世代通信規格「5G」、監視カメラ、AI(人工知能)関連の中国企業5社に対する政府調達の禁止が盛り込まれた。そして今年8月、ポンペオ米国務長官は「クリーン・ネットワーク計画」を発表した。通信キャリア、アプリ、クラウド、海底ケーブルの分野で中国企業を排除して“クリーンな”ネットワークを同盟国と協力しつつ作るとしている。
これらの目的は米国の機密性の高い情報を中国共産党から守ることだ。そして中国共産党が狙うデジタル覇権に対する強烈な警戒感が背景にある。
「BAT」と呼ばれる百度(バイドゥ)、アリババ集団、騰訊控股(テンセント)など中国ITプラットフォーマーのビジネスは、質の高いアプリによって膨大なデータを収集・蓄積して、それをAI・アルゴリズム技術によって分析する、いわばデータのエコシステムだ。中国政府は米国のITプラットフォーマーの「GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)」を14億人の中国市場には参入させず、そのコピービジネスをBATに独占的に担わせてきた。
そして中国国内から海外へのデータ流出を規制し、海外のデータは自由に流入させる、いわば非対称の仕組みでデータを囲い込む。こうしたデータを巡る中国の「デジタル保護主義」に対しては、相互主義で対抗すべし、というのが米国のメッセージだ。
さらに中国政府はアジアなどに対して、「一帯一路」政策で通信インフラの整備をファーウェイなどに担わせ、そうした通信インフラの上でBATが海外ビジネスを展開して海外データを蓄積する。こうして中国のデジタル戦略の圏域拡大を目指した国際戦略を2017年、「デジタル・シルクロード構想」として打ち出している。
しかし問題はそれだけではない。中国政府によるデータアクセスを可能にする法制度があることだ。
インターネット安全法(サイバーセキュリティー法)では、ネットワーク運営者に公安機関・国家安全機関への協力を義務付けている。国家情報法では、あらゆる組織、個人が国の情報活動に協力することを義務付けている。さらに現在制定中のデータ安全法(データセキュリティー法)では、国の安全維持のためにデータの調査に協力することを義務付けようとしている。
こうした仕組みが、中国企業が海外から収集したデータにも及ぶことが懸念されるのだ。米国が懸念しているのは、中国企業が保有する米国における顧客データに中国政府がアクセスすることが可能であることだ。これらの法制度の下ではファーウェイも北京字節跳動科技(バイトダンス)も中国政府から特定のデータの提供の要請を拒否できない。ファーウェイ、バイトダンスの創業者たちがいくら否定しても、この“くびき”からは逃れられない。
米国の対中政策を見るときは、トランプ大統領と“オール・ワシントン”に分けるべきだ、と私は以前から指摘してきた(関連記事:トランプ氏“ファーウェイ発言”の裏にワシントンの暗闘)。オール・ワシントンとは、議会超党派と政権幹部、シンクタンク、捜査機関などからなる、ワシントン特有の政策コミュニティーのことだ。
コロナ禍以前、トランプ大統領は選挙対策としての成果を求めて、関税を脅しに貿易分野での取引に血道を上げていた。他方、オール・ワシントンは中長期に対中警戒感を背景に、2018年8月の国防権限法など議会超党派でのファーウェイへの規制強化などを進めてきた。中国のデジタル戦略への警戒感もまさにこうした流れだ。
トランプ流取引の餌食になったTikTok問題
大統領選を間近に控え、選挙対策としての対中強硬姿勢が必要なトランプ大統領にとって、これまで血道をあげてきた貿易での取引はもはや使えない。貿易については今年1月に合意に至ったからだ。そこで7月に対米外国投資委員会(CFIUS)がTikTokの安全保障上の懸念を指摘したことを利用して、自ら主導する形の大統領令を出したのがTikTok問題だ。今回問題となったTikTokの米国事業は、運営元であるバイトダンスが2017年に米国企業ミュージカリーを買収したのが発端だ。CFIUSは買収完了後の2019年に審査を開始していた。
そして、その際に使う手段が国際緊急経済権限法(IEEPA)だ。安保や経済などに対する脅威が生じた際に、非常事態宣言を出した後、強大な権限を大統領に認めている。これを根拠にTikTok利用禁止の大統領令を出しているのだ。この法律自体、曖昧な規定で、恣意的に解釈されうるものだ。これまではクーデターやテロ行為などに適用されて国単位に対してかけることが多く、特定の企業に対して適用するのは異例だ。
本来は中国のデジタル戦略への警戒感というオール・ワシントンの問題意識から発した問題ではあるが、トランプ大統領は自分で差配できる大統領令という強引な荒技を繰り出してこの問題に飛びついた。トランプ大統領らしい、成果を誇示するための選挙対策だ。そして自分好みの取引に持ち込んだ。
安全保障上の懸念があるとしてアプリの配信禁止という“脅し”を振りかざして、バイトダンスに米企業への事業売却を迫る。トランプ流の取引とは“脅し”を背景に交渉する取引だ。貿易交渉では「関税引き上げ」を脅しに使ってきたが、それと同じ手法である。
ところがこのトランプ流取引のシナリオを狂わす波乱要因が出てきた。司法判断と中国政府の介入だ。
9月27日、連邦地裁はアプリの配信禁止を一時的に差し止めることを認めた。これで“脅し”がなくなって、トランプ政権は交渉への圧力をかけられなくなったのだ。国内でもトランプ政権が前出のIEEPAを安易に乱用することへの批判もあった。トランプ流の強引な手法への健全なチェック機能が働いたものといえる。
いずれにしても予定が狂ったのは事実だ。米オラクルと米ウォルマートが合計20%出資する新会社が国際事業を引き継ぐことで大筋合意はしたものの、米中間で意見・解釈の隔たりが表面化して、最終合意に至っていない。脅しがなくなれば、このまま大統領選までズルズルいきそうだ。
そうしてもう1つの波乱要因が、中国政府による承認手続きだ。
アルゴリズムの輸出規制は中国の“政治的返し技”
中国政府の駆け引きは巧妙だった。この交渉に中国政府の承認が必要である仕掛けに持ち込んだのだ。
中国政府は8月末、アルゴリズムの技術輸出を規制項目に新たに加えた。その結果、バイトダンスの事業売却に中国政府の承認が必要になるようにしたのだ。見事に政治的に切り返した“返し技”だ。これでバイトダンスが交渉上、優位なポジションに立つことになった。
中国はデータ解析して顧客個人に合った動画を推奨するTikTok独自のアルゴリズム技術の流出を防ぐため、との説明をしている。確かにTikTokのアルゴリズムは優れた技術ではあるが、ファーウェイの5Gや半導体の技術と違って戦略的企業でも、戦略的技術でもない。膨大な量のデータがあることによってアルゴリズムは改善していく。そうしたアルゴリズムはアプリの質を高めるため、競争力の源泉としてビジネス上は重要だ。しかし他のアルゴリズムと同様、元来はオープンソースの組み合わせだ。
このタイミングでの技術輸出の規制強化は、明らかに中国政府による米国への揺さぶりだ。米国の当初からの狙いはこのアルゴリズムを入手することではない。中国政府もアルゴリズムを囲い込む目的よりも、TikTok問題に介入する手段が欲しかったのだ。
アルゴリズム技術を巡る綱引きがTikTok問題の本質であるかのような報道もあるが、これは誤解を招く。TikTokの安全保障上の懸念は、あくまでもアプリが収集する大量のユーザーのデータにある。
選挙対策の馬脚を現したトランプ流取引
共和党のルビオ上院議員をはじめとする対中強硬派のオール・ワシントンは、場当たり的なトランプ政権の対応に強く反発している。こうした取引では本質的な問題の解決にはほとんど結びつかないとしている。
個人情報の中国共産党への流出という安全保障上の懸念が、TikTokの米国事業の売却交渉にすり替わった。そして交渉プレーヤーもビジネス的には第1候補であった米マイクロソフトから急転直下、トランプ大統領を政治的に支援するオラクルになった。トランプ大統領は、露骨な利益誘導も意に介さない。
米国事業を担う新会社は1年以内に上場する予定だ。その結果、新会社の20%のシェアを持つことになるオラクルやウォルマートは、莫大なキャピタルゲインを手にするだろう。その見返りにトランプ陣営に選挙資金が流れるのではないかという見方も広がった。
さらに、新会社はテキサス州に本社を置いて、少なくとも2万5000人を雇用するとも語っている。もちろんテキサス州は大統領選挙戦で接戦になること必至の大票田の重要州だ。トランプ氏は早速、選挙集会でTikTokの提携案が雇用創出につながると支持者らに誇示して、大統領選のアピール材料にしている。
いずれもトランプ大統領にとって“戦利品”として大統領選のキャンペーンで誇示する思惑だった。まさに貿易交渉での取引と同じ発想で、露骨な選挙対策で分かりやすい。トランプの対中強硬姿勢とはこういうものだ。
トランプ流取引に翻弄されない対中データ戦略を
ファーウェイ問題も、こうしたトランプ流取引にさらされることを防ぐために、オール・ワシントンが2020国防権限法でファーウェイへの制裁の解除には議会の承認が必要としている。それは前年の苦い経験からだった。
2018年7月、トランプ政権は中国の通信機器大手・中興通訊(ZTE)に対して米国企業との取引禁止の制裁を条件付きで解除した。トランプ大統領が米中の貿易協議で中国側から譲歩を引き出すためにZTEへの制裁を交渉材料にしたものだ。オール・ワシントンの対中強硬派は、こうしたトランプ流取引に強く反発して、ファーウェイ問題でZTEの二の舞いを何としても避けなければならないとしたのだ。
TikTok問題への対処を見ると、オール・ワシントンの懸念は的中している。
オール・ワシントンから見て、米中デジタル対立の本丸はTikTokのバイトダンスではなくBATだ。中国製アプリの中でTikTokが真っ先にやり玉に挙がったのは、トランプ大統領の選挙集会を邪魔された個人的恨みとの見方もあるぐらいだ。決済手段であるアリババのアリペイをはじめ、BATはベンチャー企業を積極的に買収、提携しながら、さまざまな生活・事業活動をカバーする多様なウェブサービスを展開して、幅広いデータを収集している。アプリだけではなく、クラウドサービスでも伸長著しい。それらが中国共産党につながるリスクにどう対処するかが本丸だ。
デジタルを巡る米中の対立は、オール・ワシントンという超党派での対中警戒感が背景にあるだけに、大統領選後もデカップリング(分断)含みの動きは変わらないだろう。「部分的分断」という言葉が相当程度浸透している。しかしTikTok騒動のような選挙を意識した荒っぽい手法自体は修正されていくだろう。日本もトランプ政権の表面的な荒っぽい手法に振り回されずに、そうした本質を冷静に見ていく必要がある。
本筋は時間がかかっても、データ管理・流通の国際的なルール作りで中国を追い込んでいくことだ。
9月8日、中国はデータ管理についてのグローバルな基準作りで中国主導の構想を打ち出した。共産党統治のためのデータ管理を進める中国による構想だけに額面通りには受け取れないが、これは明らかに対中包囲網が形成されることへの危機感、警戒感の表れだ。だからこそ日本もこの本筋を欧州も巻き込んで主導していくべきなのだ。
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