「中間協定」という「強弁の解釈論」まで飛び出す混乱

 そうした海外の厳しい目をよそに、国内の議論はますます混乱している。

 「強弁の解釈」の一つとして、「今回の合意は『中間協定』として認めてよい」と、ある学者のコメントが最近メディアに掲載されていた。これは一般人にはわかりづらいので、これまであえて言及を避けていたが、この記事によって誤解が広がることを懸念する。率直に言ってこの解釈には明らかに無理がある。

 多少専門的になるが、WTOルールにおいてはFTAに関する「中間協定」への言及がある。そこで「今回の合意を中間協定として位置づけて、WTOルール違反との批判を逃れよう」との意見が政府の一部にあり、一時検討されたのは事実だ。

 しかしその中間協定については「妥当な期間内にFTAの要件を整えるための『計画及び日程』を含まなければならない」という規定がある。現在の日米貿易協定にはそれがないため、この解釈は無理だと判断された。こうした事情があるので、日本政府は中間協定としては位置づけることをしていないのだ。

 それにもかかわらず、こうした問題のある解釈を一部のメディアが報道している。知らない一般人は真に受けてしまう。

 いずれにしてもこうした法解釈論が本質ではない。もっと大きな政策論が必要だ。

脱「町人国家」の堂々たる政策論を

 国会を乗り切るために事実をゆがめるような解釈論に汲々(きゅうきゅう)とするのはいただけない。今、日本に必要なのは、事実をきちっと国民の前に提示して、政策の選択の是非を問う堂々とした政治ではないだろうか。それが政治の責任だ。官僚もそうした糊塗(こと)するための姑息(こそく)な知恵ばかり絞るようになっては、この国の将来にとって深刻だ。

 当初FTAという言葉を避けるためにTAG(物品貿易協定)という用語をどこからともなく引っ張り出して批判を避けようとしてみたり、日米の合意文書の英語を素直に訳さず意訳して取り繕ったり、関税の撤廃時期を明示しなくても許されるとの都合のいい解釈をしてみたり……。正直、何とも切なくなる。

 日本は米国に安全保障を依存していることから、米国との貿易交渉で譲歩せざるを得ない宿命にある。とりわけトランプ大統領は予測不能で、ある意味日本は非常事態にある。日本が譲歩してトランプ大統領をなだめすかすこともやむを得ないだろう。理想論だけではダメで、現実主義であるべきであるのは当然だ。

 ただ、そうした譲歩も無原則であってはならない。越えてはならない一線はどこなのかを常に意識しながらの譲歩であるべきだろう。その一線はどこなのか。それを問うための政策論が、今こそ日本に必要だ。

 かつて日米貿易摩擦が華やかなりし頃、「町人国家論」が唱えられた。武士の無理難題を飲み込まざるを得ない町人に日本を見立てての論だ。

 問題は今の日本がかつての「町人国家」と同じかどうかだ。米中がパワーゲームを繰り広げて、国際秩序を崩壊の危機にさらしている今日、日本は単なる「町人国家」でいいのだろうか。日本の国際的な立ち位置も大きく変化している。

 日本は利害の調整が難しいTPPを米国抜きでまとめ上げた。中国の構造問題への対処で犬猿の仲の米欧の橋渡しをしながら、日米欧連携を引っ張っている。データ流通のルール作りを「大阪トラック」と称して主導している。こうしたグローバルなルール作りを着々と主導しているのが、かつてはなかった今日の日本の姿だ。

 そして何よりも大事なのは、中途半端な国内市場しかない日本は、米中のような巨大な国内市場を背景にしたパワーゲームはできない。日本の命綱はルールしかない。

 そうした日本が自らルールを空洞化、形骸化させる先例になったら、今後の他国との通商交渉にどのような影響を与えるかも直視すべきだろう。事実を糊塗せず国民に提示して、トランプ大統領対策としてどこまで譲歩を甘受すべきか。そのプラス・マイナスについて正面から政策論争をしてもらいたいものだ。

この記事はシリーズ「細川昌彦の「深層・世界のパワーゲーム」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。