真面目な子ほどAIに取って代わられるような教育のままでいいのか
宮田人司氏(以下、宮田):堤さんが監督をされた長編アニメーション『ONI』を初めて見たとき、僕は泰蔵さんと一緒だったんですが、泰蔵さんは恥ずかしいくらい泣いておられましたよね(笑)。まずはそのあたりからお聞きしましょうか。
孫泰蔵氏(以下、孫):はい、冒頭から号泣しました。というのは昨今、ChatGPTのようなAI(人工知能)が、ついに一般の人たちにも目に見える形で世に出てきましたよね。私はこれまで、AI技術を開発したり活用したりするスタートアップを応援してきました。最先端の世界を、皆さんよりはちょっとだけ先に目にしたり、触れたりするうちに「これは大変なことになる」と思うようになりました。
最も危機感を覚えたのは、今までの学校で優秀だとか成績が良いといったことが、まったく意味がなくなるということだったんです。
学校は私が40年以上も前に通っていた時と基本的に何も変わっていない。いよいよAIが普及していく中で、みすみすAIに取って代わられるような知識や能力をいまだに教えている。そして一生懸命、真面目に頑張った子ほど、社会に出れば真っ先にAIに置き換えられてしまう。そういう状況をものすごく不幸なことだと感じました。これをなんとかしたいというのが、ここ数年思い続けてきたことなんです。
『ONI』を見て初めから号泣したのは、この問題が、とても丁寧に説明されていると感じたからなんです。『ONI』に登場する神々山の子どもたちは学校へ行って、天狗からこう言われます。「偉大な力を習得し、鬼を打ち負かす者もいるだろう」。それを信じて子どもたちは一生懸命に「クシの力」と呼ばれる力を得るために励むんです。
けれど、自分の「クシ」がなんなのか分からない主人公のおなりは、クラスメートからばかにされる。おなりのお父さんのなりどんも、へんてこなおやじだとからかわれる。おなりはそのことがとても恥ずかしいし、怒っているわけです。
でも、なりどんが伝説の英雄である雷神様だとみんなが知った途端、その評価が一変します。著書『冒険の書』では、このことを「メリトクラシー」という言葉で説明しました。実績を出せた人だけが偉く、出せない人には価値がないという今の社会の問題点を、『ONI』は数分のシーンだけで見事に描いていると思いました。
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