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社会の状況によって、議論は変わる

 前の話を受けた余談になりますが、僕は「どんな社会でも通じる普遍的な議論は存在しない」と考えています。例えばよく挙げられるのが「どんな人がリーダーにふさわしいか」というテーマ。これは、はっきり言って愚問です。

 なぜなら、高度成長期の日本のように製造業が引っ張っていく社会では、「黙って俺についてこい」といったタイプのリーダーの方がいいのです。社長であれ工場長であれ、部下たちを真面目に勤勉に、四の五の言わずに働かせることのできるリーダーが適任と言えます。

 しかし、高度成長時代にスティーブ・ジョブズのような工場長がいたら、結果は悲惨なものになるでしょう。生産ラインの前に立って「美しくない」と考え込み、いちいちラインを止めていては、肝心の製品が出来上がりません。

 ところが、今はマーケットインの時代で、新しいサービス産業であるガーファやユニコーンが世界を引っ張っています。このような世界では「働く」といってもその中身は非常に多様です。本を読んだり、人と話したりいろんな現場に出かける旅がクリエイティブなアイデアの創出につながる。

 しかも、その時間が「労働」なのかどうかあいまいになってきている。そんな時代の理想のリーダー像が、「黙って俺についてこい」タイプでないのは明白です。

 では、どんなリーダーがいいかというと、僕は「お釈迦様」タイプだと思っています。孫悟空のような個性あふれる部下を自由に放し飼いにしてクリエイティブなアイデアを出させる。孫悟空からインスピレーションをもらう。なんだか、楽しそうでいいアイデアが出てきそうでしょう?

 リーダーの在り方は時代によって変わります。「いまはどんな状況で、どんなリーダーを据えなければならないか」を考えなければならない。同じように、目指すべき国のかたちも、状況によって違うのです。

 ですから、これから他国に追いつかなければならないマレーシアを導くマハティールさんが「昭和の日本」に興味を持たれているのは、よく現実を認識しておられる証拠ではないか。非常に僭越ながら、僕はそう考えているわけですね。

 ちなみに、APUをご覧になったマハティールさんは、じつに素晴らしい大学だと感心してくださいました。これだけ世界中から若い人が集まって自由に勉強しているのは理想的な教育の姿だ、と。……リップサービスではないと信じています(笑)。

(構成/田中裕子)