環境破壊、貧困、就労のミスマッチなど、国内外の社会課題を解決する社会起業家を支援するボーダレス・ジャパン。資金調達やマーケティング、広報などの事業ノウハウを提供するプラットフォームには、現在までに32社のソーシャルビジネスが集まっている。代表の田口一成氏は、小学生の3児を育てる父親で、「故郷・福岡での子育て」を自然体で楽しんでいる。東京で起業し、7年前に福岡に移住。現在は多拠点経営と子育てを仕事を両立している。そんな田口氏に子育てのポリシーを聞いた。今回はその前編。
なお田口氏は2020年2月17~20日に福岡で開催される「ICCサミットFUKUOKA 2020」において、本連載とのコラボ企画「『子育て経営学 ラウンドテーブル』 私たちは子供をどう育てていくのか?(シーズン3)」に登壇する予定だ。本連載にも登場したスペースマーケット代表・重松大輔氏、ココナラ代表・南章行氏らとともに、子育てと経営の共通点などについて語り合う。(後編は2月18日公開予定)

1980年福岡県生まれ。早稲田大学商学部在学中に、発展途上国で栄養失調に苦しむ子どもたちの映像を見て「これぞ自分の人生をかける価値があるテーマだ」と一念発起。米ワシントン大学留学を経て、2004年、大学卒業後にミスミに入社。2007年、ボーダレス・ジャパンを創業。社会起業家が事業に集中できる環境を提供するプラットフォーム会社として注目される。現在、日本、韓国、台湾、バングラデシュ、ケニアなどで社会問題の解決を目指す32の事業を支援する。グループ全体の従業員数は1000人を超え、2018年期の売り上げは49億円超と、5年で4倍以上の成長を遂げている。福岡県在住。専業主婦の妻、12歳の長男、9歳の長女、6歳の次男の5人暮らし。(取材日/2019年12月24日、写真:鈴木愛子)
田口さんはソーシャルビジネスのプラットフォームとして約30の事業を支援し、グループ全体の売り上げは直近5年で4倍超になり、ソーシャルビジネス業界をけん引するキーパーソンとして注目されています。東京で起業し、その5年後に故郷・福岡に移住して今は子育ての真っただ中。お子さんの年齢はおいくつですか?
田口一成氏(以下、田口):上から12歳、9歳、6歳の3人。男、女、男で、全員小学生です。毎日もう大騒ぎですよ。時々、「2人きょうだいより、3人きょうだいのほうが手間はかからなくなる」と聞きますが、うそです(笑)。特に小1の次男は体は小さいのにエネルギーがあふれ過ぎて、まるで「豆タンク」。6年生のことも呼び捨てにして好き放題しているので、「わが息子ながらヤバいなー、こいつは」と言っていたら、妻から「言っておくけれど、あなたにそっくりだよ」と言われました(笑)。
日ごろはどのようにお子さんと関わっているのでしょうか。
田口:平日の日中は仕事ですが、朝と夕の食卓はできるだけ家族一緒に囲むようにしています。食事の間は「今日どんなことあった?」と聞いて、にぎやかに話していますね。長男はサッカーチームに入っているのでサッカーの話を、長女は水泳が好きでスイミング教室に通っているので「今日こんなに記録を伸ばせたよ」といった話をしています。次男はバスケットボールチームでの話かな。あれ、誰も学校の話をしていないなぁ(笑)。
習い事はどのように決めたのですか?
田口:本人がやりたいことをやらせる方針です。次男は運動神経がいいタイプで長男のサッカーチームからの引き合いもあったのですが、「入会したらボールをプレゼントするよ」という目先のご褒美につられてバスケットボールを選んでいました(笑)。
習い事をやめるのも本人の自由です。ただし、「やめる意思を先生に伝えにいくのは、自分でやりなさい」と言っています。気の進まないことを他人に押し付けるようにはなってほしくないので、それだけは徹底しています。
つい親が気を回しがちなことを、あえて子ども自身にさせるのですね。土日の過ごし方はいかがですか?
田口:土日は基本的に仕事を入れず、家族と一緒に過ごしています。だいたい土日に長男のサッカーの試合があるので、皆で応援しに行って、朝から晩まで一緒にいる感じです。福岡は東京に比べて子どもたちが遊べる広場にゆとりがあるので、子どもたちはのびのびしていますね。下の2人は、グラウンドの隅っこで適当に遊んでいます。特別に何をするということもなく遊ぶ時間も、大事じゃないかなと思っています。
かなり多くの時間を家族と過ごしていらっしゃるようですね。故郷・福岡へのUターン移住を決めたのも、子育てによりよい環境を求めてのことだったのでしょうか。
田口:それだけじゃないですが、大きかったですね。僕はもともと福岡市内の海辺に育って、子どもの頃は学校から帰ったら毎日釣りをしていたんですよ。いや、正確に言うと、学校から帰ってじゃなくて、学校が終わるとその帰りに寄り道して釣りをしていた。だから、釣りざおを持って登校していたんですよ(笑)。
あと、イカダを自作して、川を渡ったりして遊んでいました。20メートルくらいの川幅ですが、子どもにとっては大冒険で面白かったですよ。
そういう生活が当たり前の環境で育って、大学からの東京での暮らしはそれなりに楽しんでいたんですけどね。結婚して子育てが始まると、「もうちょっとゆとりのある環境で子育てしたいな」という気持ちがどんどん膨らんできて。妻は沖縄出身で価値観が僕と近かったので、思い切って移住を決めました。長男が年中さんで、次男はまだ妻のおなかにいた頃ですね。
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