「強み」の反対は「消耗」
そういった働きかけは、仕事における育成でもなさっていますか。
南:まったく同じだと思っています。さらに補足するなら、「強み」の反対語は「弱み」ではなく「消耗」なんです。強みとは「できること」ではなくて、「やっていて、わくわくできて、自然とエネルギーが湧いてくること」。才能やスキルを指すのではなく、これをやるといつの間にか時間がたっていて、自分らしくなれて、成果も出ること。だから、結果としてスキルが上がる。それが「強み」だとしたら、その反対は「やるだけで疲れて、自分らしくいられなくて、成果も出ないこと」、つまり、消耗なんです。
楽しく幸せに生きるために、強みを伸ばしてあげるのが、本来の教育の役割のはずだけれど、残念ながら日本の教育は「不得意なことを指摘して標準化する」というのが基本姿勢。そういう教育で育ってきているから、親も子どもの強みを伸ばす方法がよく分からないし、会社の上司も部下の強みを伸ばすことがうまくできない。その構造を客観的に理解したうえで、「だから意識的に強みを伸ばしていこう」と心がける必要があると感じています。
まずは「観察」から、ということですね。
南:だと思います。何も働きかけずに「何でもやっていいよ」と自由だけ与えるのも乱暴で、「君は何でもできるのに、何もやらないのは怠慢じゃないのか」というプレッシャーになりかねない。強みを発見するためのちょっとしたアシストをするのは、親の役割でしょうね。
すぐに効く特効薬なんてなくて、地道にやっていくしかないです。自分で考えることを応援して、チャレンジの場を与えて、プロセスの行動を褒めて、できないことを過度に否定せず、なぜやりたいと思ったかを観察する。そのサイクルを繰り返しながら関わっていくと、「反抗期」はやってこないですよ。うちの子たちは反抗しないです。考えてみれば当たり前で、自我を抑圧されることがないから反抗する必要がなくなる。

男女別で育て方に方針の違いはありますか?
南:生まれたときに決めたテーマは、「男の子は“モテる子”に、女の子は“たくましく”育てよう」でした。世間一般とは逆かもしれないですが、その通りに育っていると思います。“モテる”というのは、クラスの女子にモテるとかそういうレベルではなく、老若男女にかわいがられるという意味です。せっかくなので、うちの息子のモテエピソードを自慢してもいいですか?(笑)
息子は小学5年生のときに料理に目覚めて、「誕生日プレゼントに何が欲しい?」と聞いたら「自分専用の包丁が欲しい」と言われたんですよ。で、僕がたまたま早く帰った日、彼が「パパ、今日は珍しく早いね。今からお酒飲むの? ちょっと待ってて」と。すると、小松菜でぱぱっと一品おつまみを作って「じゃ、おやすみ」って(笑)。小料理屋みたいでしょう?
学校のクラブ活動でも家庭科クラブに入ったと聞いて「ほお」と思って、たずねてみたんですよ。「オレの時代には家庭科クラブって女子しかいなかったんだけど、今どきは男子も結構いるわけ?」。息子は「いや、僕だけだよ」と。「へぇ〜、オレのイメージだと、そういうときって周りの男子たちがからかうものだと思うんだけどどう?」「ああ、たまになんか言われるね」「嫌じゃないの?」「あいつらのほうが子どもだから言わせておけばいいんだよ」。カッコいいなぁ、こいつ!とほれ直しましたよ。
さらに、衝撃的な出来事があって、よく遊びに行っていた親友の家に「ちょっと電話をかけたい」と言い出したから、かけさせたんですよね。すると、友達のお母さんが出て「あら、ごめんね。あの子、今いないのよ」と。「いえ、○○さん(親友のお母さんのファーストネーム)に用事があるんです」「私に?」「はい。この間おじゃましたときにいただいたマドレーヌがとてもおいしかったので、よかったら作り方を教えてもらえませんか」。それで本当にアポを取って教わりに行ったんですよ。後日、そのお母さんから「小学5年生の男子にファーストネームで呼ばれただけで、キュンキュンきたわ!」と喜ばれました(笑)。
息子は今は空手部に入っているんですが、ホワイトデーには女子部員全員分の焼き菓子を作って配るようなこともしています。そういうのをさっとやってのけるし、誰とでも仲良くできる。自分の好きなことを大事にするから、友達の好きなことも自然と大事にできるし、いじめられっ子ともニュートラルに付き合える。娘も似たところがあって、小学校で不登校気味だった友達が同じ中学を受験して、今一緒に通っているのですが、「あなたがいるから学校に行ける」と言われるらしくて。そういうふうに育ってくれているのは、親としてうれしいし、誇らしいですね。
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