日本の枠にとらわれず、娘を育てたい

子育ての方針として、決めていることはありますか。
長内:まだ固めきれていないというのが正直な気持ちですが、外で元気に遊ぶのが好きな子に育ってほしいですね。
あとは、娘はクオーターに当たるので、グローバルな感覚は身につけさせたいなと思っています。名前も「海を越えて愛される人になりますように」という願いを込めて「海愛(みあ)」と名付けました。
日本の学校に通わせる予定ですか。
長内:海外の教育にも興味があります。スイスのボーディングスクールにも憧れますが、そのためにはかなり稼がないとなぁ……(笑)。妻にこの話をすると、「私も一緒に行くわよ」と。 「家族一緒にスイスに移住して、スイスから動画配信」という将来があるかもしれません(笑)。
いずれにせよ、日本の枠にとらわれず、質のいい教育は受けさせたいですね。少なくとも英語と中国語は身につけさせたいと思っています。
長内さん自身は、どのように育てられたのですか。
長内:両親に感謝しているのは、僕が自分からやりたいと思ったことを、いつでも応援して育ててくれたことです。勉強も習い事も、「しなさい」と言われた記憶はありません。起業を相談した時も、「あんただったら何とかなるんじゃない」という感じで賛成してくれました。
きっと僕も同じように、娘が将来、進路の相談をしてきたら、「いいんじゃない」と賛成するだけだと思います。妻は僕と違って心配性なので、違う意見かもしれないですが(笑)。
両親から受けた影響と言えば、国家公務員の父が口癖のように言っていたのは、「人の役に立つ人間になれ」。この言葉が、今の仕事にもつながっているのかもしれないですね。
“ほめて育てる”方針だった父から、厳しく叱られたことが一度だけあります。
野球少年だった僕が、小学生の頃、投手としてマウンドに立った試合の一幕。バッターが打ったピッチャーゴロを取って、そのまま一塁まで走ってアウトを取り、僕がさらにホームに送球してダブルプレーを取ったんです。ピッチャー大活躍のシーンです。観客席からワッと歓声が上がりました。
でも、その歓声に混ざって放たれた父の声が耳に刺さりました。「孝平、お前、一人で野球やってるんじゃないぞ!」。一塁のチームメイトを信頼せず、ワンマンプレーをしたことを、父は叱ったんです。あの言葉はずっと僕の中に残っていて、今でも一つの指針になっています。
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