そして、根深い「社会不信」「他人不信」がベースにあるが故に、その社会で秩序を維持し、とりあえず身の安全を守れるようにするには、強い権力による統制を受け入れる。どんなに不自由でも、無秩序よりはマシだからである。だから、誰だって自宅軟禁など望んではいないが、そうでもする「強権」がなければ、世の中、本当にどうなってしまうかわからない。それこそ怖くて怖くて仕方がない――という感覚になる。
「監視国家」の優越性を証明していいのか
前述したような全土の監視カメラ網や顔認識システムでの行動管理、アリペイなどのオンラインペイメントによる個人の支出入に対するチェック、個人信用情報の格付けの仕組みなど、「監視社会」としての中国に昨今、日本でも関心が高まっている。私自身も、そのような事柄に関する文章を過去に書いてきた。
個人のプライバシーという観点から言えば、こうした「監視システム」が大きな問題をはらんでいることは事実だし、それが権力体制、既得権益の維持に供されていることは明白だ。しかしながら、それが中国の社会で広く導入され、定着しているのは、単に権力が横暴だからではない。それを(喜んで、ではなくても)受け入れる素地が人々にあるから、社会に定着し、機能している。善悪はともかく、その事実は軽視すべきではない。
もし、仮に今回の新型肺炎がこのまま中国では収束に向かい、そして――想像したくないことだが――日本がさらに悲惨な状況に陥るようなことにでもなれば、そのシステムの優位性が目に見える形で世界に印象付けられるだろう。
日本の社会は今回の新型肺炎に関しても、冗談めかして言えば、「黙っていても車は止まる」と、なんとなく考えているようなところがある。今回、本当に車が止まるかどうかはわからない。もしかしたら日本人の自律性の高さで、政府が強権を発動しなくても、マスクや手洗いの励行、自発的な自宅待機といった要因で、車が止まることもあるかもしれない。心の底から止まってほしいと思うが、止まらないかもしれない。
そうなったら、やはり「強権」は必要だ――という議論に当然、なるだろう。正直言えば、私も、条件付きではあるが、そう思い始めている。デジタル化、グローバル化が破壊的な勢いで進み、時代は変わってしまったのだ。
ただそのときに、「強権」そのものをいかに私たち自身の手で管理するか、その具体的な方法論が求められる。そもそも今回の感染の発生源は中国であって、専制政治の隠蔽体質がなければ、ここまで拡大していなかった可能性が高い。少なくとも現状の日本では「民主主義」が機能しているのだから、政治家を罵倒しても、その政治家を選んだのは自分たちであって、意味がない。
もし権力の有効なコントロールを私たちが実現できなければ、「専制と民主のどちらが優れた仕組みなのか」という議論に対して、有力な判断材料を提供することになるだろう。「社会の信頼感や人々の善意という前提の上に、まがりなりにも繁栄してきた『日本という仕組み』」が、果たして生き永らえることができるのか、今回、その答えが出てしまうことになるかもしれない。
そうだとするならば、われわれ日本人としては、国家の強権なしでも個人や民間の自律性によって悲惨な事態の発生を抑え込み、世界に見せてやるという気概を持つべきだ。これは民主国家日本国の興廃を賭した闘いになる。
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