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スーパーに行く人数も制限した

著者の中国移動通信の携帯電話で表示させた「疫情期間行程査詢」のページ。携帯電話の通信記録から、過去60日以内に自分がどこにいたかが表示される。スマホのアプリか携帯電話のショートメッセージで自分の身分証明書番号(あるいはパスポート)の下4ケタを入力すると簡単に見ることができ、違う都市に入るときなどにこの画面を表示して自分がどこにいたかを申告する。海外でのローミングは記録されないらしく、ずっと上海にいたことになっていた。

 近くのスーパーに買い物に行くのも「1家族から3日に1回、1人だけ」、それも居民委員会(党の基層組織が指導する地域の自治会みたいなもの)の許可証なしではマンションの敷地から出られないといった徹底ぶりで、上海や北京のような大都会でも街からまるで人気(ひとけ)がなくなった。

 現時点での抑え込みの「成功」は、こうした強権の結果である。そのような状況の下、武漢や湖北省を除く中国の各地では一種の「戦勝気分」みたいなものすら漂い始めた。そして、その「成功」が国家体制の強さによるものだというストーリーが、もちろん全ての人ではないが、かなりの説得力を持って人々の間に共有されつつある。

 そして、現時点で、その「体制優越論」の有力な論拠になっているのが、わが日本である。

 日本の現況についてはご承知と思うので、詳述しない。日本国内における感染の拡大阻止は、まさに正念場である。今後どうなるかは現時点ではわからない。結果的に感染は一定の範囲内におさまり、なんとかしのぎ切れる可能性もあるだろうし、一方、非常に深刻な事態に陥る可能性も決して小さくはない。

 私は日本の政府が無能だとも、何もしていないとも思わないし、日本は日本なりの対策を一生懸命にやっていると考えている。企業や個人も個々の差はあれど今回の新型肺炎に強い危機感を持って各自がさまざまな努力をしている。

 しかし、こうした日本人の対策や危機感は、中国人的感覚からすると、甚だ心もとないというか、不安だらけのものに映る。感染が日本国内に広がる前、中国では日本の支援に対する感謝の声であふれ、日本に対する関心や期待が高まっていただけに、落差は大きい。

本気で「怖い」と思っていない日本人

 中国人の妻と共に東京にいる筆者のもとには、2月半ば以降、中国の友人たちから「日本は危ない。早く中国に戻ってこい」との連絡が続々と来るようになった。留学や仕事などで日本に滞在している中国人の間からは「日本は何も対策がなくて怖くて怖くて仕方がない。どうして皆、何もしないんだろう。中国に帰りたい」といった悲痛な声が聞こえてくる。

 中国と日本の社会の対応の差を見ていると、その最も大きな違いは、本気で「怖い」と思っているかどうか、だと感じる。中国政府の「強権」が現時点で感染の拡大を抑制したことは明らかだが、それが機能したのは、もっと言えば、政府が強権を発動することができたのは、人々が本気で「怖い」と思っていたからだ。逆に言えば、日本で政府や企業が大胆な決断がしにくいのは、多くの人が本気で、心の底から「怖い」と思っていないからである。

 どうしてこのような差が出るのか。中国人は本気で怖がっているのに、なぜ日本人は怖がらないのか。その根底には国家や社会、組織、さらにそれらが運営される仕組みや制度、ルールといったものに対する認識の違いがある。